くら寿司だけの問題じゃないよ

大衆あいてに、デフレ経済のなかで、安いものを提供するところは、みな過当競争で、従業員はすり減ってるのではないかと思う。サービス業はとくに苛酷だろう。

そこに、生まれつきか、家庭環境のせいか、攻撃性をもった人間が上の立場に立ったりすると、危ないのではないか。

しかし、3月にやってきたスーパーバイザーに、いくら客に聞こえる大声で怒鳴られたりしたからって、4月に自殺することはないはずなのだ。
 
自殺した店長は、多分欝病だったのでは。そういうひとに一番くっつけてはいけないSVだった。自殺した店長は、早く精神科かカウンセラーのところに行くべきだったのだ。だが、それすら、日本企業ではクビ覚悟でなきゃできないのではないか。

もちろん、こんなSVをつけたところを見ても、イヤな企業なんだろう。店の駐車場で死んだのは会社への恨み以外の何物でもない。くら寿司では、この件について、具体的事情を把握していないとか言ってメディアの質問を逃げているが、店長から相談があったのを突き放して、死に追いやったというのは困難な想像ではない。

SVを責めるのは当然だが、自殺した店長も欝病だったのではないか、という観点からも見ざるを得ない。というのも、欝病のひとに無理を強いるのが日本の企業であり、日本経済だからだし、それは今に限らないだろうからだ。

それでも、とりわけ根底にあるのは、小泉改革〜アベノミクス、そしてそれに無反省なその後の自民党なのだ。くら寿司ばかりを責めてはならない

「企業に社員のクビを切る権利を与えるのが自由主義、資本主義」みたいなことを、竹中が言ったのは、アメリカがそうだからだ。
こういうと、なんでもアメリカの真似をすればいいってもんじゃないよ、と言うひとがいるだろうが、ぼくはそういう言い方には抵抗を覚える。逆に、アメリカの真似をするなら、きちんとまるごと真似しなきゃだめじゃないか、という視点こそ大事なのではないか。
アメリカでは企業は平気で社員をクビにするが、クビになった人間は、日本の生活保護なんかよりましな公的補助を受けながら、つぎの就業先を探せるのだ。竹中は、そんなことも知らないで、いったい経済学者か。

財務大臣のとき、当時問題だった不良債権処理について、その影響でどれだけの失業者が生まれると思うかと野党議員に聞かれるた彼は、「そんなことわかりませんよ、共産主義じゃないんだから」と答えたものだ。
共産主義というのは、彼の理解では計画経済ということらしい。これ自体、大変な教養の欠如だが、それはともかく、ある政策によって、どんな結果が生じるか予測するのが共産主義なら、あちこちにあるシンクタンクなどは、あれは共産主義なのか。こんなデタラメな答弁をきちんと野党がとっちめないのも、質問時間を奪われているからだろう。昔の国会では騒然と非難が議場を満たし、竹中は即更迭ものだ。

こんな能なしの見かけ倒しの誠意のかけらもない連中のために、まじめに働く、部下にやさしい店長が自殺するのは、あまりに合わない話だし、そんな店長を死に追いやったくら寿司の責任も、もちろん追及されなければならない。

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