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社会主義と共産主義

 社会主義という言葉は、共産主義という言葉とともに、間違った意味で使われていることが多い。つい間違ったのではなく、資本主義陣営の中心にいる連中が故意の誤情報を流布させているのである。

 典型的な誤用の例をあげて、その誤りを指摘すれば、真の意味を説明することができる。
 たとえば、下記の記事などは好例だろう。この手の主張は、これまでもあり、今後も続々といろんな人から出されていくはずだ。
http://markethack.net/archives/51981377.html


 この記事の骨子は次のくだりだろう。

 マルクスの理論では高度に資本主義が発達し、行き着くところまで行ったときに革命が起きるはずでしたが、実際は最も貧しく、資本主義が発達していない国々で相次いで共産主義が生まれました。
 しかも共産主義がユートピアを提供するという期待空しく、実際には独裁、恐怖政治、貧困などがそれらの国々で起きたのです。
 まとめると、マルクスの資本主義に対する批判や洞察には鋭い点、価値ある点がありましたが、マルクスは資本主義を放棄した際、それに代わるものとして示した共産主義のロードマップは雑すぎただけでなく、間違いだらけで、とんだ災いをもたらしたのです。
 ジェレミー・コービンの主張の問題点は、我々が歩んできた過去から、何も学んでいないという点です。大衆は忘れっぽいし、オツムが弱いので、ウケを狙うなら「お花畑社会主義」をぶら下げるのが、最もカンタンな方法というわけです。

 この手の主張の典型だが、この人物は、マルクスの重要な著作の論点を知らないし、ロシアをはじめとする諸国での、所謂社会主義革命の問題点も知らない。

 社会主義は何もマルクスの専売特許ではなく、古くはプラトンの『国家』にも見られた思想であり、ロマン・ロランもヘレン・ケラーも社会主義者だった。

 ソ連や中国を共産主義と呼ぶのは俗語法である。あれらは社会主義の一種ではあっても、共産主義ではない(ヒットラーも国家社会主義者だった)。ジョン・レノンがイマジンの中で謳ったように、国家がないのが共産主義なのだから。加えて言えば、マルクスらが社会主義ないし共産主義の名で語った社会に、労働ノルマや収容所は存在しない。

 マルクスに話を限っても、上記の記事は、次のような点で、根本的にきわめて不当である。

.マルクスが、資本主義が高度に発達すれば、窮乏化が起こり、それが革命を招来すると見たのは事実だ。

 ところが、ロシアなど、実際に革命を起こした国は、資本主義が高度に発達した国ではなかった。だから、歴史はマルクスの予言とは違うコースをたどったというのは、一見正しいように思ってしまうかもしれない。

 しかし、ロシアで革命を起こすことは、マルクスの理論に反するのではないかという疑問の声は、マルクスの生前からあり、マルクスは、ロシアでの革命は自分の理論から見れば変則的だが、ありうると承諾を与えてしまった、というのが真相らしい。(私はマルクスなどの文献に直に当たって確かめたのではないけれども、その筋では知られた話である)

 これをマルクスの過誤と批判することは間違いではないのだろうが、では、後進国の革命家達に向かって、彼らの国の民衆が窮乏の中にあるときに、先進国で革命が起こるのを待てなどと、言えただろうか?

 そして、まさに今、資本主義が世界で最も高度に発達した米国で、左翼のバーニー・サンダースが大統領候補として一定の支持を得ているのだ。オバマ大統領ですら富裕税を唱え、フランスでは右派のシラク、サルコジでさえトービン税導入を唱え、また失敗とはいえ実行に移した事実を忘れるべきではない。

 貧富の格差が拡大していると言うのは、世界の誰もが知っている事実である。まさに「窮乏化」にほかならない。

2.マルクス主義の基本的文献である『ドイツ・イデオロギー』には、革命は全世界で一挙に同時に起こるとある。その意味でも、ロシアや中国やモンゴルのような一国社会主義革命は、マルクス理論としては変則的である。国家の死滅を主張する共産主義者が国家主義に凝り固まるのは矛盾だ。

 その結果、どうなったかといえば、この記事の筆者をはじめ反共主義者たちが鬼の首をとったように指摘する、官僚独裁の権威主義的抑圧と貧困の国家が出来(しゅったい)したのだった。

 では、それは、ソ連などの社会主義諸国に元々内在した悪だと言えるだろうか。いわゆる社会主義国の悪なるものは、状況が生んだものであり、その状況とは資本主義国が意図的に引き起こしたものであることを以下に示そう。

2−1 資本主義列強は、革命が起これば、軍隊を送って革命政権の転覆を図ったり、米国が「米国の裏庭」と言われた中南米諸国やアフリカの新興国でしたように、CIAの陰謀と、それと呼応するそれらの国内部の資本家や軍部や反動的傀儡政治家の策謀によって、民衆の選んだ為政者を暗殺するなどの、卑劣な仕方で、それら諸国を支配下に置いてきた。チリのアジェンデの暗殺、米国のグレナダ侵攻、パナマのノリエガの拉致、コンゴのパトリス・ルムンバ首相の暗殺など、例はいくらでもある。これを忘れるとしたら、それこそ、「忘れっぽく、オツムが弱い」。(元国務官僚ウィリアム・ブルムの『アメリカの国家犯罪全書』益岡賢訳 作品社 などを参照されたい)*

2−2 ロシア革命当時、西欧諸国の侵攻を受けたレーニンらの新生ソビエト政権は、一時はモスクワにしか拠点がないまでに追い込まれた。そのとき日本もそれに呼応してシベリアに軍を送って占領したのだから、よそごとではない。

 スターリンや毛沢東を悪人とするのは容易だが、彼らにもエクスキューズはあったわけで、追い込まれた国のとった、やむを得ざる防衛が、軍部の増長、国民の生活と自由の抑圧などにつながったという面を忘れてはならない。

 社会主義革命を起こせば、資本主義陣営からのありとあらゆる妨害、攻撃、工作に直面することを、マルクスは見通していたからこそ、『ドイツ・イデオロギー』で「革命は世界で一挙に同時に起こる」と書いたのである。(これは、19世紀の革命家たちが共有していた認識かもしれない。マルクスの書物は決して必ずしも彼一人の天才の産物ではないはずだ**)。

 英国のコービンや、あるいは今南欧や中南米に出現している左翼政権がスターリンなどと同じことをするだろうというのは、今の経済や国際政治を無視した時代錯誤の暴論であり、悪宣伝以外のものではない。ウルグァイのムヒカが抑圧的体制を敷いたとでも言うのだろうか。今にも中国が尖閣諸島を経由して日本に攻め込んでくるような妄想をふりまく人達が思いつきそうな荒唐無稽のシナリオである。

 逆に言うなら、有名な『共産党宣言』の冒頭には、共産主義を抑え込もうとする反動勢力の代表格にメッテルニヒとロシア皇帝とならんでバチカンがあげられているが、マルクスの時代はともかく、今のフランシスコ教皇がこんな系列に属するだろうか? 

 やがてはブラック・アフリカ出身の教皇が現れるだろうが、その人もむしろフランシスコに近いひとだろう。

.資本主義が20世紀前半から半ば過ぎにかけて、民衆の生活を豊かにする方向を見せたという事実は、資本主義が社会主義より優れていることの証明にはならない。

 資本主義は競争原理で成り立っているから、社会主義国という競争相手が出現したとき初めて、社会福祉に目を向けるようになったのである。社会主義化と言っていい。そのとき、資本主義経済の生産力が役に立ったのである。ケインズの提案した有効需要刺激の経済政策、米国のニューディールは、それである。

 ソ連崩壊を経て21世紀のいま、その生産力が民衆の生活の向上に役立てられていると言う人がいたら、それこそ時代錯誤だ。どんなに生産力があっても民衆の生活には役立てないのが、資本主義の本性なのである。

 資本主義が西洋で中世の末に興って来たときは、まだ教会や王侯貴族の天下だったから、資本家はそれに対抗して権力を握るために、民衆の支持を必要としたはずだ。そのときに、王侯貴族の暮らしを万人に広めるかのような、無限の発展とその末に達成される楽園のビジョンが人々を捉えたのではなかったか。もちろんそれは、環境や資源の危機や、有限な宇宙船地球号などということは予想だもされず、産業廃棄物や汚物の海洋投棄も、無限希釈説によって、堂々と正当化されていた時代の話である(無限希釈説は、私が小学生だった60年代前半にはまだ常識として語られていた。80年代になっても、日経新聞を毎朝読むようなひとは、環境なんて言ってたら生きていけない、と言っていたものである)。

 資本主義延命のためには、資本主義をコントロールし、改良して、民衆にも利益のお裾分けに与らせないと、ロシアや中国の二の舞になるということを、資本主義国の支配層が認識したのは、当然だっただろう。

 かくて、ソ連邦崩壊以前の米国で経済学のスタンダードな教科書だったポール・サムエルソンの『経済学』冒頭では「混合経済」(純粋資本主義に社会主義の長所を混ぜたもの)が、あたかも究極の経済であるかのように謳われた。当時はまだ、福祉の発達、人権の尊重が常識だったのである。

 資本主義国における福祉の発達は、そういう動機によるものだったから、宿敵ソ連を倒したとたん、市場経済の究極の勝利とはしゃいだ連中が、元の弱肉強食の経済と社会を復活させたのは当然だった。

 いま、TPPなどをはじめとする米国大企業のほしいままな体制へと向かう動きがますます露骨になっているのは、なんら特異なことではないのである。

 そしていま、あちこちの国で左翼政権が生まれているのは、コンピュータ・テクノロジーによる「世界で一挙に同時に行われる」情報伝播に支えられた、世界一挙同時の革命への第一歩ではないだろうか。

 だから、中国で行われている情報の隠匿、抑圧は、少しも対岸の火事ではなく、現にブッシュ政権やアベ政権の米国や日本が、中国と同じことを企んでいる。すでに1950年代の赤狩りの時代の米国で、国務省の高級官僚ジョージ・ケナンが危惧していた、反共主義に凝り固まるほど、資本主義国は社会主義国と同じことをするようになってしまう、というのは、まさにこのことである。

 つまり<ジェレミー・コービンの主張の問題点は、我々が歩んできた過去から、何も学んでいないという点です。大衆は忘れっぽいし、オツムが弱いので、>という、この記事の筆者の言葉は、ほかでもない、この筆者自身にこそ向けられるべきだ。

 彼の主張の問題点は、我々が歩んできた過去から何も学んでいないと言う点である。彼は忘れっぽいどころか、大事なことを知ろうと思ったこともないからハナから無知であり、ウォール街の株の動きなどにばかり頭を使って、社会とか経済のことになると、とたんにオツムが弱くなるのだ。

 マクロ経済とミクロ経済の区別さえつかない人物は、実業界にも政界にもざらにいる。

 いったい、軍需産業の利益のために無益の戦争を続け、環境を破壊し、健康をむしばみ、貴重な動植物種を絶滅させていくような経済を、いつまで続けられるというのか。それも、ますます深刻になっていく経済格差を是正もせずに。

 いま宇宙旅行が実現に向かいつつあるが、あれは、地球が有限になったしまったので、資本主義の誇大妄想的ビジョンが成り立たなくなって、追い詰められた体制の逃げ道という側面もあるのではないかと思う。なきホーキング博士もそんなことを言っていたらしい。宇宙の夢に人々を駆り立てて、宇宙空間で大勢の死者や生殖不能者を生みながら、エクソダスが図られるのだろうか。何度もOSのバージョンがアップされても、さして使いよくもならず、新たなトラブルばかり起こるPCをユーザーに押しつけるコンピュータ産業に酷似した歩みが、人命をも犠牲にしつつ進むだろう。そして、私たちが宇宙空間に目を奪われていれば、地表でも、それと同じくらい多くの犠牲が出続けるのではないだろうか。

 アベノミクスが愚劣なのは、なにもあの蒙昧で無教養な三流政治家の個人的欠陥や、その取り巻きの卑劣さだけのせいではない。いまの世界で、一国だけの政策で問題を解決などできるはずがないのだ。また、TPPのような、大資本本位のグローバル化によってどうにかできるというわけでもない。先進国の豊かさの追求はますます困難を増している。だから、「どうせ誰がやっても同じだろう」というニヒリズムが暗黙のうちに蔓延し、それに対して、抜本的にはならない範囲の弥縫策によって、なんとかこれまでのままの水準の生活を保とうとするところに、空疎なアホノミクスが「しかたなく」支持される素地があるのではないかと思う。アベ首相がいいと思うような人はわずかで、他に誰もいないからという消極的支持者のほうが上回っている。

 この愚劣な記事の筆者は、コービンのことだけは言うが、米国のサンダーズのことは言わない。また、シラクが唱え、サルコジが実行に移した短期金融取引への低率の課税にも言及していない。

 しかし、行き詰まった時こそが、新しい展開に向かう時なのだろう。

*アメリカ侵略全史 https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784861826894
 アメリカの国家犯罪全書 https://www.amazon.co.jp/アメリカの国家犯罪全書-ウィリアム-ブルム/dp/4878935456
**柄谷行人氏が『世界史の構造』のなかで強調しているところによれば、カントは『永遠平和のために』のなかで、世界政府の樹立を主張したさい、その理由として、限られた一国による平和は他の国による攻撃で崩されてしまうということを指摘していた。

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