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親と教師と導くもの

教師になりたいって思ってた。
子供のころの私を褒めて欲しかったから。
自分のことを認めて欲しかったから。

他の女の子たちと同じものを好きになれなかった自分を受け入れて欲しかったから。
私の嫌なところさえも認めて欲しかったから。

親が何もしてくれなかった訳じゃない、
けれど、どれだけ褒めてくれても足りなかった。

言えなかった。自分のことを打ち明けるのが怖かった

自分の好きなもの、好きなこと、
うまく伝えられなかった。

小6の時の先生は楽しそうだった。
自分の好きなことをしていた。
その経験を聞くのが好きだった。

自分の全てを打ちかけることはできなかったけど、こんな人になりたいと憧れた。

だから教師になりたかった。

親に全てを認められなくても、
教師がそれをすることができるんじゃないかと。

認めなくても新たな世界をみせてあげることができるんじゃないかと。

教師が「第二の親」になれると思ってた。

でも、実際に教員養成大学に来て、
一般的な「教師」と私の考える「教師」は
違うって気づいた。

一時期の「親」になれたとしても、
一生「親」ではいられない。

たぶん、私の求める「親」を人に求めるのは
違うんだと思う、そう気づいた。

なんとなくだけど、わたしの「親」は本だと思う。

声や表情をもって褒めてはくれないけど、
人間とは違ったもので褒めてくれる。
新たな世界を見せてくれる。

親からも教師からも離れなければならない時はやってくるけど、本から離れることはない。

私の「親」は本だと思う。


後書き
これを書いたのは多分エヴァの影響があると思う。元から私は内省するタイプだったけど、将来の夢である「教師」への違和感の正体が何かいまいち掴めなかった。なあなあでここまで来た。
シンジ、アスカの「認められたい」欲求は現在進行形で私も持ってる感情だとシンエヴァ2回目とアニメを履修して気づいた。
アスカのぬいぐるみ役は私にとって「教師」だった。
当たり前だが、教師はそんな「親」みたいなことばかりをするはずがない。
私が学んでいるのも、教科指導のことである。
将来のことを考えたときに、私のしたいことと学んでいる内容を実践することの差を感じていた。

「ガキに必要なのは恋人じゃなくて母親よ」
というアスカの言葉はわたしに刺さった。
私も愛情を与えてくれる相手を探していて、自分にはいなかったからこそ他に施してやろうという自己満なのかもしれない。

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