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読点を減らしてひらがなを増やす

文章をわかりやすく書きたいので、いい文章を見ては「なぜこの文章はわかりやすいのか」と考えてしまいます。

最近よく自分の文章をよく見返しますが、すでにわかっている内容を何度見返してもバイアスがかかってしまっていて、なかなか改善点が見つかりません。

ですが、最近一つ分かったのは、自分はかなり読点を打っていたということです。

よくエンジニア系の記事(qiitaやzennなど)やnoteなどの活字を読むさい、「わかりやすいなー」と感じる記事は、かなり読点が少なかったのです。

もちろんむやみに読点を減らせばいいというわけではないでしょうが、これは自分にとってかなりショッキングでした。というのも、句読点は「読みやすくするためのもの」だと思っていたからです。

最近は「リズムよく読めること」の大切さを感じています。

たくみな言葉を使っても、それを読むたびにこちら側は一考しないといけないので、その文章で詰まってしまい、リズムが崩れます。流れるように読める方が、変な部分で詰まらずにささっと読めるのではないでしょうか。

そして読点も、このリズムを崩壊させる役割になりかねないのではと考えたのです。

読点が入るたび、読者は一拍おきます。その拍がうまく一定のリズムならば非常に読みやすいのかもしれないですが、拍がぐちゃぐちゃだと、かえって流れが悪くなり、読んでいるときの気持ちよさがありませんし、文章としてわかりづらくなります。それならばいっそ読点を減らしてそのリスクを減らした方がわかりやすくなりやすいのでは、という主張です。

そう考えると、不必要な思考をまねく要素は徹底的になくした方がいいということになります。その部分でリズムが崩れてしまうのは、もったいないのです。

となると、漢字というのも考え物だなと思います。読みづらい漢字はわかりやすさを損なうのではないでしょうか。というわけで、この文章はひらがなを増やすことを意識しています。

そこでは「読み手の立場を尊重した文章というのはひらがなが多い」として、渡部昇一『知的生活の方法』(1967年)、加藤周一『読書術』(1962年)そして岩渕悦太郎編著『悪文』(1960年)からそれぞれ例文を引用しています。

私の手元に今もある梅棹忠夫『知的生産の技術』(1969年)も平仮名の多い文章です。例えば、「まえがき」冒頭は「この本ができあがるまでのいきさつを、かんたんにしるしておきたい」となっています。漢字はたったの一文字だけです。いわゆる〈漢字を開いて〉平仮名書きにしています。木山著のコラム「漢字が多いと黒っぽい?」p.87からすると黒っぽくない文章です。

上の記事によると、「読み手のことを意識すればひらがなが増える」としています。たしかに、「この本ができあがるまでのいきさつを、かんたんにしるしておきたい」という文章は思ったより読みやすいですし、やわらかい印象を与えます。エンジニアの記事でここまでひらがなが多いものは見たことがありませんが、極論このレベルの技術記事でもわかりやすいのかもしれません。

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