音楽活動Darwin peninsula #2『seabed(unasoko)』概要
音楽活動Darwin Peninsulaとしての第二作『seabed(unasoko)』を、2024年5月9日に発表した。第一作『curriculum』が同年3月19日だったので約50日ぶりの新作だったということになる。
二作目を作れるかどうかずっと不安だった。一作目はハッキリ言ってゴリ押しで完成にこぎつけたが、そのやり方では継続的な活動は難しそうだった。二作目を作れるかどうかが、それ以降の活動が実現するかどうかを占うと思っていた。
道を開いてくれたのは哲学者で作家の千葉雅也さんの講演動画( https://youtu.be/0F9Bk273q2o?feature=shared)での、「作り続けるためのエンジン、ジェネレーター」という言葉。私は作家としては未熟だけど、自分にとってのそれがルーパーだということについては確信があった。
そこで、第一作を発表して広告活動もひと段落したとき、ルーパーという機械の持つ力学に身を任せてみることにした。
第一作を作っていたときは、三島由紀夫のスタイルのように、すべてを準備段階で作り上げてからそれを実現すべきだという強迫観念があった。その結果としてできた第一作は、自己紹介としては申し分ないけれど、少し硬直的な印象もあるものだった。
第二作は曲にしても、詞についても、直感的に、熟考することを避けて作った。その分早く作れたし(本当は月一での活動を想定していたので4月中にアップしたかったが)、広がりがあるものになったと思っている。
ただ、今後の創作すべてに関して熟考を辞めるというわけではなく、作品ごとにちょうどいい塩梅を探っていこうと思っている。
詞について、ラストの
I listen
seabed
I read
seabed
という部分については、第一作目から画面内に飾っているウィリアム・ブレイク『Newton』からモロに拝借して、という感じだが、実際にこのアイデアを適用したのは、制作当時読んでいた大江健三郎『水死』の巻頭で引用されているエリオットの詩がきっかけとなった気がする。
また、今作のギターソロの部分だが、第一作のギターソロと類似のものが使われている。これもやはり直感的にそうしたのだが、背景には間違いなく大江健三郎に代表される物語手法"ズレを含んだ繰り返し"の影響が大きい。
機材等の技術面についてはドラムマシンを使わなかったことを除けば前作から違いはないので前作の概要を見てもらえれば。(https://note.com/qe5aspuv/n/n261c2dce5871?sub_rt=share_pw)
機材について、何かを増やすことについてはとても抵抗があるが、減らすことについては割とすんなりと決断できてしまうのは、コンセプトに関する固執か、または清貧に対するフェチシズムかもしれない。
ともあれ、約50日前にぽんと生まれたプロジェクトが、ある方向性をもって出発したことに安堵している。(2024/5/11)
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