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できないことに立ち向かう「挑戦する素地」

わたしの家族にとって「スポーツ」というのはとても身近な存在だ。現在も70歳近い父はゴルフ、母はテニスの大会に出て賞を総なめにしている。

昭和の時代の田舎には、町内のスポーツ大会なるものがあり、父は野球チームに、母はソフトボールチームに所属していた。わたしが子どもの頃は、家族ではよくボーリングしに行ったり、身体を動かすことはごく当たり前のレクリエーションだった。

この前、ふと思い出した小学校の時の出来事
体育の授業で(縦の)跳び箱が飛べなかったのだ。
祖父母、両親、弟の6人で囲む夕食でそれを話すと、
「よっしゃ、特訓や」みたいなノリで夕食後から特訓がはじまる。

畳の応接間にピアノの椅子を縦に置いて、その先にマットレス。お尻を打つんじゃないかという恐怖心が、縦の跳び箱を飛べなくしていた。

走り幅跳びのように、椅子を飛び越えるところからスタートして徐々に恐怖心をなくし、勢いをつけて、目線は跳び箱のその先を見る。ピアノの椅子はすっかり飛べるようになり、次の体育の授業では、すっかり縦の跳び箱を克服していた。

逆上がりができなかった時も逆立ちができなかった時も
「謎の特訓」は行われた。

しかしそれは、親が強制的に無理強いしてやっていたわけではなく、あくまでわたしの「できなくて悔しかった」という気持ちに寄り添ってくれたものだった。

謎の特訓によって「努力すればできる」「やればできる」という小さな成功体験が積み重なっていった気がする。

そんな体育会マインドの親の影響もあり、わたしは小学校からバスケットボールチームに所属、弟も小学校からサッカーチームに所属し、各々中学校では全国大会にも出ている。

「努力すればできる」の体育会マインドと自分の役割を徹底的にこなすチームスポーツにより、周りへの気遣いや人と協力してやり遂げる、勝って結果を残すという昭和の「モーレツサラリーマン量産システム」にがっつり組み込まれてしまった!

「多様性」の時代になったいま
自分のその素地が場合によっては弊害になることを認識しつつ、1人1人をユニークな個人として認め、尊重し、一緒に成長していきたい。やりたいことや悔しいことがあったら、一緒にどうしたいかを考えて、寄り添っていきたい。

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