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【読書録】プルードン『貧困の哲学』2

そこで私に言わせてもらえば、普遍的な理性とは、昔のひとびとが神と呼んだものを近代的な用語であらわしたものにすぎない。ことばはあたらしくなった。しかし、それでものごとがわかったのだろうか。
(プルードン『貧困の哲学 上』平凡社ライブラリー、18p.)

「理性=神」とは、よく聞く話ではあるが、改めてグッと来た。フランス革命のときに、神を廃棄し理性を信仰するといって、「理性の祭典」なる祭りをやって色々な「理性」を表す女神役の女性とともに躍るなどといった笑い話もあるけれども、それでいうと、方法をいろいろ変えながら、全く同じ構造の周りをぐるぐる回っているということの証左であり、かつ、それを我々は笑えるのかというと疑問でもある。我々はどの時代にいたとしても、必死にその曇った窓ガラスみたいに視界の悪い中で動かなければいけないのである。

 全く余談だけど、新語ばかり使うビジネス頭マンに対し、ガツガツ言い放ちたい。「PDCAサイクルを……」「ことばはあたらしくなった。しかし、それでものごとがわかったのだろうか。」「あなたはコミットできますか?」「ことばはあたらしくなった。しかし、それでものごとがわかったのだろうか。」「それだとターゲティングがファクトに基づいておらず、マイルストーンに達するでしょうか」「ことばはあたらしくなった。しかし、それでものごとがわかったのだろうか。」

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