【読書録】まるで友達の家に遊びに行ったらだんだんその友達の厄介な性格が見えてきた時のよう

 スーフィズムの、現在の教祖である、シャイフ・ハーレド・ベントゥネスの著書『スーフィズム イスラムの心』の続きを読んでいる。
 読み進めるごとに、手放しに称賛することが、だんだんためらわれてきた。

イエスは言っている、「もし誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬も剥けてやりなさい」と。預言者は言う、「人があなたにしてほしくないことを、他者にしてはならない」と。イエスのメッセージは霊的に非常に高いものであるが、それは神の瞑想に没入し、その光の中に浸っているエリートのためのものである――このことは、キリスト教の神秘家を読み直すだけで十分に明らかである。
(中略)
なぜ今日に至るまでのすべての戦争で何百万もの人間が死ななければならなかったのか。ヒトラーに左の頬を差し出し、彼に世界の征服を許し、人類の三分の二は最低の人間であるとの口実をもとに、彼らを奴隷状態に置かせる必要があったのか。

シャイフ・ハーレド・ベントゥネス『スーフィズム イスラムの心』、55、56ページ

 コーランの世界の中では、ムハンマドは最初の預言者なのではなく、最後の預言者であるとされ、イエスやモーセは、コーランの中でも偉大な預言者のうちの一人であると数えられている。
 簡単な理解だが、イスラム教は、旧約、新約聖書などの作り出す世界を、乗り越えたものと位置付けている。
 完全にその位置に立つのであれば、今あげた、さすがにキリスト教を知っている人は眉をひそめずにはいられない一節も、許容されるのであろうか。
 この段落は、もともと、「ジハードは常に、イスラムを非難する人たちの辛辣な批判の的となってきた」というように、ジハードの物理的な意味ではなく、精神的な意味を強調するための流れにあるのだが、そのノリで、とあえて言わせてもらうが、キリスト教に強烈な左ストレートをかます、そういう所が批判されているのではないだろうか。
 シャイフ・ハーレド・ベントゥネスは、とても偉大な導師なのかもしれないが、どこか、血気盛んで、近づきがたくも感じる。

 そもそも、読み進めるごとに、彼のもつ説得力というものが、この教団を広げる足掛かりになっていると思うと、レベルは違うのだろうが、勧誘の気を感じるので、喫茶店で互いにシンプルなコーヒーを飲みながら話している、逃げがたい雰囲気もここに感じられてきた。
 とても素晴らしいことも書いてあるのかもしれないが、もちろん、手放しに肯定して入信するのではないし、そうではないからこそ、理論的に言っても、どこか外れた所から眺めている必要があるのかもしれない、こういうものを読むには。
 しかし、そういった批判的態度も、まさにスーフィズムが、精神の第二段階として、頭でっかちの理性主義と批判し返す種になるのだが。

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