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新世紀探偵(1:『新世紀探偵』で私は探偵として働いている)

 「新世紀探偵」で私は探偵として働いている。ライセンスはC級。簡単に言えば、低所得者層向きのリーズナブルな探偵というところだ。ここ、トキオ・シティでC級ライセンスの探偵に回ってくる仕事なんていうのは、配偶者の浮気調査だとか、家出した青少年の捜索だとか、万引きGメンだとか、害虫の駆除だとか、そういった種類のチープな依頼だけだ。だから探偵というよりはほとんど便利屋に近い。

 原則として、依頼は専用のアプリケーション経由でやってくる。流れとしては、まず依頼者が「新世紀探偵」専用アプリケーションから依頼を申し込む。申し込みの際には、S級、A級、B級、C級のランクからの任意の探偵を選ぶことができるが、もちろんランクが上がるにつれてコストも上がる(逆に言えばランクが下がるにつれてコストも下がる)。その依頼をAIのマリリンがランクごとの探偵に自動的に仕分けてくれるという仕組みだ。

 やって来た依頼を引き受けるかどうかは、あくまでも探偵本人に決定権がある。しかし、言うまでもなく、私のようなC級探偵は仕事を選べるような身分にはない。「新世紀探偵」の給与は歩合制だし、いちいち仕事を選んでいたらすぐに給料が底をついてしまう。金がなければ家賃も払えないし、電気代やガス代や水道代も払えない。カードの引き落としもできなければ、もろもろのローンの返済だってできなくなる。世知辛い世の中だ。



 『新世紀探偵』を読み始めていただいた親愛なる読者のみなさんに(遅ればせながら)自己紹介をしておくと、私は詩と酒と煙草をこよなく愛する探偵だ。金と時間さえあれば、いつでも酒を飲み、煙草を吸い、詩集の頁を繰っている。実際、たったいまこの瞬間もソファに座って、リチャード・ブローティガンの詩集を読みながら、ビールの缶を開け、煙草にライターを近づけようとしているところだ。ブローティガンの詩集を読むのはもうこれで98765回目くらいだったが、それでも読み直すたびに全く新しい印象がもたらされる。そのあたりがブローティガンの古典たる所以なのだろう。

 私立探偵印レタス

 三籠の私立探偵印レタス
 その名前と虫眼鏡をもった
 私立探偵の絵がレタスの籠の
 わきに書いてある
 人間の想像力と、世界中の物に
 名前をつけようという欲望の
 あいのこ。
 ぼくはこの地をゴルゴタと名付け
 夕食にサラダを食べることにしよう。


 ちなみに月曜日の昼間からなぜこんなにもくつろいでいるのかと言えば、依頼が来ないからだ。当然のことながら金はない。もう依頼が来なくなって一週間ばかりになろうとしているが、一週間も依頼が来ないというのはいくら何でもひどすぎる。本社のマリリンに問い合わせても、「申し訳ありません。ご紹介できる依頼は現在ございません」という返事が返ってくるばかりだった。ホーリー・シット! 一週間もロクに仕事をしていないと、探偵としてのアイデンティティがしっちゃかめっちゃかになってしまう。

 しかし、と私はブローティガンの詩を読みながら考えてみる。そもそも自分は「探偵としてのアイデンティティ」などと言える立派なものを持っているのだろうか? さっきも言ったように、C級探偵なんてほとんど便利屋同然の存在だし、探偵と名乗るのもおこがましいくらいなのだ。一度でいいから、S級探偵のように清潔なオフィスを構え、ハンチング帽を被り、トレンチコートを着て、古きよきピンカートン社の探偵みたいに仕事がしてみたいと思わないでもない。しかし、S級探偵にはS級探偵なりの苦悩があるのだろう。というか苦悩していてほしい。でなければやってられない。



 そんなどうでもいいことを考えているうちにアプリケーションの通知が鳴る。私はブローティガンの詩集の頁を閉じ、ビールを飲み干し、煙草を灰皿に押しつけて消す。待ちに待った一週間ぶりの依頼だ! 私は時代遅れの遺物とも言うべきスマートフォンのアプリケーションを開き、メッセージをチェックしてみる。「新着の依頼/指名案件」。指名? 私は一瞬わけがわからなくなる。つまり依頼者はC級の探偵なら誰でもいいということではなく、わざわざ私を指名して依頼してきたということだ。それこそS級探偵ならわかるが、C級探偵をわざわざ指名する人間なんてどこにもいない。いるとしたら頭がおかしいか気が狂っている。私はメッセージの続きを読む。

「国家機密法該当の依頼につき、詳細は本社・マリリンまでお問い合わせください」

 私はソファから立ち上がり、キッチンへ行く。冷蔵庫からミネラルウォーターを出し、コップに注ぐ。そしてミネラルウォーターを飲みながら、もう一度依頼を確認する。もちろん内容は変わらない。「国家機密法該当の依頼につき、詳細は本社・マリリンまでお問い合わせください」。

 ますますわけがわからない。「国家機密法該当の依頼」ということは何かしら国家レベルでの依頼ということだ。どうしてC級ライセンスの私をわざわざ指名してまで、国家レベルの重大な依頼がやって来るのだ。何かしらのシステムエラーによって、S級探偵へ行くべきメッセージが私のところに来てしまったとしか考えられない。

 私は「新世紀探偵」本社のマリリンに問い合わせてみることにした。



「もしもし、こちらはマリリンです」

「やあ」

 いつものようにマリリンが対応してくれる。先ほども説明したように、マリリンというのはAIなのだけれど、対応があまりにも自然なので、(特に電話で話したりする場合には)実際の人間とほとんど区別がつかない。

「新着の依頼について一点確認したいことがあるんだが」と私は咳払いをしながら言った。「このクライアントは本当に私を指名しているのか?」

「確認致しますのでお待ちください」とマリリンは言った。そして、ほとんど間を空けず「間違いございません。この依頼は**様指名の案件です」と回答してくる。

「なるほど」と言って、私は一瞬沈黙する。マリリンがそう回答してくるのであれば、先ほどの依頼は間違いなくこの私を指名の上で、本社に送信された依頼だということなのだろう(S級のおこぼれをもらったわけではないということだ)。

「それで依頼の内容は?」

「マリリンからは回答いたしかねます」とマリリンはビジネスライクに答える。「本依頼の詳細につきましては回答権限を与えられておりません」

「それなら、どうすればいい?」

「担当の者が**様のご自宅までお伺いに上がりますので、いましばらくお待ちください」

「その担当の者とやらはいつ私のところに来るんだ?」

「約一分後です」

 やれやれ、と私はため息をつく。グローバル資本主義を標榜する巨大複合企業の例にもれず、「新世紀探偵」もまたこのようにして、労働者の基本的人権をないがしろにしているのだ。24時間365日定額働かせ放題。しかし、何しろ一週間ぶりの依頼なのだからけちをつけるわけにはいかない。



 カッサンドラのごとくマリリンが予言した通り、正確に一分後にインターフォンが鳴らされる。私はモニターで来訪者の姿を確認する。ダークスーツを着て、サングラスをかけた人物が二名。痩せていて身長の高い方と小太りで身長の低い方の二人組。痩せていて身長の高い方は髪を短く切り揃えており、小太りで身長の低い方は髪をもじゃもじゃと肩のあたりまで伸ばしている。「新世紀探偵」本社の人間と会うのはひさしぶりだったが、相変わらず無愛想な連中だ。ノッポとチビはモニターの向こうでうんともすんとも言わなかった。私は通話ボタンをプッシュしながら「どちら様?」と尋ねた。

「『新世紀探偵』本社の者だ」とノッポの方が社員証らしきものを提示しながら言った。「新規の依頼の件で来た」

「我々は本社の者だ」とチビの方も同じように社員証を提示しながら言った。「新規の依頼の件で話をしに来た」

「お疲れ様です」と私はあくまでも礼儀正しく挨拶する。「いまドアを開けます」

 そして、玄関へ行ってドアを開けた瞬間、私はノッポとチビに拳銃をつきつけられたのだった。



 ノッポとチビに玄関先で銃をつきつけられながら、私は一瞬のうちに色々なことを考えた。元配偶者のMのこととか、今月のクレジットカードの引き落としのこととか、子どものころ飼っていたマオ・マオという猫のこととか(言うまでもなく毛沢東に由来)、アダルトビデオのお気に入りのシーンのこととか(階段を上りながら男優と女優が性交するシーン)、とにかく色々なことが一瞬のうちに脳裏を巡った。私はひとまず両手を挙げて、自分に抵抗するつもりはないというサインを送った。

「なあ、言っただろ?」とノッポが得意げな顔でチビに言う。「しょせんはC級探偵だって」

「全くコバヤシの兄貴の言う通りです」とチビは頷く。「しょせんはC級探偵ですね」

「確かにその通りだ」と私も同意する。「しょせんはC級探偵だ。間抜けな殺し屋の二人組と同じくらいひどい」

「よお」とノッポが銃口を私の下腹のあたりにつきつけながら言った。「まだ気の利いたことを言う余裕はあるみたいだな」

「まだ余裕みたいだな」とチビも続けた。

「別に余裕があるわけじゃない。ただ、生まれつきこういう性格なんだ」と私は言った。「ところで、君たちはどういう用事でここに来たんだ?」

「うるせえ!」とノッポがいきなり拳銃を振り上げて、銃床を私の頭に叩きつけた。頭蓋骨まで響くような痛みとともに、私は床に倒れた。頭に手をやってみるとわずかに血が流れ出していた。チビが私の胸ぐらをつかんでもう一発お見舞いしようとしたので、私は「わかった!」と言った。

「何がわかったんだ?」とチビは振り上げた拳銃をゆっくりと下ろした。「何がわかったって言うんだ?」

「君たちの言う通りにする。これ以上何も言わないし、何も聞かない」と私は頭をおさえながら言った。「ムダ口も叩かない」

「初めからそうすればいいんだ」とノッポは言った。「カタギリ、このC級探偵に手錠をかけろ」

「がってん!」と言ってチビはスーツのポケットからひと組の手錠を取り出した。そして手錠を私の両手首にはめようとした。しかし、なかなかうまくはめられないようで、チビは「ちくしょう」とつぶやきながら何回も試行錯誤していた。見かねた私は「貸してみろ」と言って手錠を借り、「手錠っていうのはこうやって使うんだ」と一瞬のうちにチビの両手首にはめてしまった。そして、呆気にとられたチビから拳銃を奪い取り、あっという間にノッポに照準を合わせた。「おい」とノッポが言った瞬間にはすでに引き金を引いていた。サイレンサーに押し殺された銃声が響き、ノッポが後ろ向きに倒れ、「兄貴!」とチビが叫ぶ。私は拳銃を構えたままリビングまで後ずさりし、二人組に背中を向けるとベランダ目がけて一気に走りだした。そして、本当に何も考えないままガラス窓に飛び込んだ。ただ、私はあまりにも混乱していたので、自分の住んでいた部屋が──前の住人がヘロインをオーバードーズしてあの世行きとなった事故物件ゆえ破格で貸し出されていた──宇田川町のタワーマンションの25階に位置していたことを忘れていたのだ。イーカロスのごとく、きらきら光る無数のガラス破片とともに落ちていきながら、私はあまりの恐怖に小便を漏らしてしまった。

 ホーリー・シット!

2へ続く)

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