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“ゲノム編集ベビー”を冷静に見てみる ~非生物学者向けのポイントの整理~

https://note.mu/zhubo/n/ne81914f5b6d3
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発表から20時間*1も経たないうちに、ゲノム編集ベビー事件の話題はどんどん大きくなり、様々な報道が乱立しています。多くの記事に圧倒される中で、簡潔で分かりやすい説明があればと思っていませんか?

今回は駐波 (ハーバード生中心の中国人有志による理系記事解説シリーズ)が皆様のために、最も気になる11つの疑問に関してお答えします!

原文: 常亮 范静萱 单浩哲 袁博

常亮: ハーバード大学 博士課程在籍。がんゲノム学/ゲノム創薬 を研究。

范静萱: マサチューセッツ工科大学 (MIT) 学部在籍。認知脳科学を専攻。

单浩哲: ハーバードメディカルスクール、理論神経科学 博士課程在籍。

袁博: ハーバード大学 博士課程在籍。 計算生物学及びゲノム学を研究。

日本語訳: 王 青波
ハーバード大学 博士課程在籍。 大規模人類遺伝学及び希少疾患診断への応用を研究。

オリジナル記事 (中国語): [理智看待基因编辑婴儿 | 给非生物学家的知识点梳理]( https://mp.weixin.qq.com/s/3MeIPelcEqZhRB76k7PMog )


# 今回何が起きたのか


11/26、南方科技大学の生物学者贺建奎氏が、CRISPR/Cas9ゲノム編集技術を用いて遺伝子を編集したヒトの胚が無事出生に至ったこと、そしてそれが双子であり、“露露 (ルールー)”と“娜娜 (ナナ)” と名付けられたことを公に発表した。
この双子の両親のうち、父親はヒト免疫不全ウイルス(HIV)感染者であり、母親は感染者ではない。贺氏によれば、彼はゲノム編集技術を使って赤子の体内の遺伝子を改変し、HIVに対して先天的に免疫を持つようにしたという。


# これは本当に起きたことなのか


一般的に、大きな科学的発見は、科学系の専門誌で発表され、出版されるまでには他の科学者の審査 (peer review)を経る。一方今回の贺氏の発表によると実験は秘密に進行したものであり、外部からの監査や認証はなかったという。また、発表に至るまで、今回の実験に関係のある組織を含め皆、この件に関しては知らなかったそうだ。これらの事実から、今回の贺氏の発表が事実であるかどうかに関して懐疑的な目を向ける科学者も少なくない。


# ゲノム編集の技術無しでエイズ*2は治せるのか


過去15年間で製薬会社は既に多くの効果的な抗エイズ薬を開発しリリースしている。現在では過去のように エイズ=死亡宣告 という状態ではない。患者が継続的に服薬をすれば、エイズが日常生活をする上で大きく影響することはない。*3


# ゲノム編集の技術無しで、この夫婦がエイズ患者でない子供を産むことは可能か

全くもって問題ない(可能)。実際、エイズは母親を通してのみ伝播する*4ことが知られており、現在に至るまでHIVを持った父親から子供にHIVが伝播した例は知られていない。これは、HIVが特定の免疫細胞にのみ感染するからであり、精子と卵子自体には影響しないからである。言い換えれば、今回の件に関して、ゲノム編集を用いなくても、生まれてくる子供は十分健康なはずであり、今回のゲノム編集はエイズを”予防” するためでしかない。


# 今回編集されたのは何の遺伝子?

今回編集された遺伝子は”CCR5”と呼ばれる遺伝子である。科学者は随分前から、人類には生まれつきCCR5遺伝子に変異が入っている人が少数存在すること、そしてその人たちがHIVに感染しないことを発見している。これは、CCR5遺伝子はT細胞と呼ばれる免疫細胞上のとても重要な受容体の一種をコードしていて、HIVはこの受容体を通してのみ、T細胞に感染するからである。すなわち、ある個体のCCR5遺伝子に変異が入るとこの受容体の機能を欠失させるがゆえに、HIVに感染しなくなる。


# それってつまり予防接種と同じ?

我々は、今回被験者となった父母はゲノム編集のリスクと意義に関して完全には理解していないという一部メディアの報道があることに気づいた。これが事実なら臨床試験のインフォームドコンセプトの概念に根本から背いているということになる。注意すべきは、このような技術は、**人体に免疫力を生じさせることが目的という点では確かに予防接種と同じであるが、本質的には全く異なる** ものであるということである。予防接種を受けた後、人体の免疫システムは特定のウイルス或いは細菌に対して”記憶”を獲得するが、これはゲノムのレベルで変化を導入しているわけでは断じてない。一方ゲノム編集が人体の細胞にもたらす変化はほぼ不可逆的なものであり、遺伝しうる。


# 胚のゲノム編集の基本的なプロセスとは?

ヒトの胚に対してゲノム編集を行うには、まず第一に体外受精が必要となる(つまり実験室で父親の精子と母親の卵子を扱うということ)。そして、精子と卵子の結合による受精卵の形成を促し、次に、ゲノム編集をする上で必要な化学物質 (= guide RNA 及び Cas9タンパク質をコードするmRNA)の受精卵への顕微注射を行う。後に受精卵を母親の子宮に移し入れ、発育させる。
注射される化学物質の中で、guide RNA (gRNA)はゲノム編集の位置のコントロールを担当し、Cas9酵素は、遺伝物質であるDNA上の、gRNAが指定する特定の位置で、”2つハサミ”によりDNAを切断する。次に、細胞は非相同末端結合(Non Homologous End Joining = NHEJ)と呼ばれるメカニズムと、標的遺伝子部位の”鋳型”を元に、切断された部位を(*5 元とは少し違う形に)修復する。修復された後の遺伝子が求めるものである (今回の例ではCCR5遺伝子の変異体である、CCR5-Δ32)。


# 今回のこの双子の健康にはどのようなリスクがある?

主に以下の2つの方向でのリスクがある。
1. まず、CCR5遺伝子の変異は確かにエイズ感染防止になるが、一方その他の種々の感染病(例えばインフルエンザや、西ナイル熱)にかかりやすくなってしまうかもしれない。
2. また、贺氏が使用したゲノム編集技術は、100%正確ではない。つまり、この科学者が編集したかったのはCCR5遺伝子だけだとしても、うっかり別の遺伝子も同時に編集してしまい、健康に対して予測不可能なリスクをもたらしてしまう可能性がある。


# ヒトの遺伝子編集は今回が歴史上初めて?


正確に言えば、遺伝子が科学者によって人工的に編集されたヒトが”生まれた”のが初めて、である。

これまでに、科学者がヒトの胚の遺伝子を編集したことはあるが、これらはすべて成熟個体になることのない胚*6である。言い換えれば、今までゲノムが編集された赤ちゃんが生まれたことはないということであり、今回の件が事実であれば、“露露”と“娜娜”は人類史上初の、遺伝子が編集された赤ちゃんということになる。


# なぜ科学界が全体的に今回の実験に関して非難/反対しているか

贺氏が使用したゲノム編集の技術は既に世に出てから数年が経っていて、研究の世界では広く使われている。しかしこの技術の正確性は常に問われており、故に科学者はこのような技術をヒトに応用するのに関してはとても慎重な態度を取ってきた。国内外の科学界ではこのような実験をする技術自体はとうに確立しているが、リスクを考えて今まで実行してこなかった。

また、ゲノム編集が大きなリスクを伴うのに対し、エイズの治療においては他に安全性と効果が担保された方法が存在している。上の例で言えば、今回の夫婦に対して子供がHIVに感染しないようにする安全な方法が既に存在しているわけである。

そして最後に、もしこの双子に対するゲノム編集が成功したとすると、彼ら/彼女らは一生この改変された遺伝子を持って生活することになり、さらにそのさらに下の世代(彼ら/彼女ら の将来の子供/孫 …)にも遺伝することになるのだが、逆に今回のゲノム編集が予測しなかった影響をもたらしてしまったとしても、その影響は子供/孫の世代まで伝わってしまいかねない。


# なぜ多くの人がゲノム編集を”パンドラの箱”と呼ぶのか


今までに述べたリスクに加えて、ゲノム編集は以下のように大きなリスクをもたらし得る。
1. どのような状況ならゲノム編集が許されるのか? もし父母が自分の子供を単純に二重にしたいとして、そのためにゲノム編集をするのは許されるのか?
2. ゲノム編集が仮に成熟した技術となったとしても、その費用はかなり高価*a になり、富裕層だけがアクセスできる技術となることが予想される。これにより長期的に社会の不均衡が助長されるおそれがある。
3. ゲノム編集を受けた赤ちゃんは、無機的なサンプルではなく、当然生を持った個体である。彼ら/彼女ら自身が自分の誕生を選択できるわけではない。彼ら/彼女らが将来どのように社会に向き合っていくのか、どのように次の世代(子孫)を残していくのか。もし彼ら/彼女らが次の世代を残すとしたら、我々社会は十分に遺伝子編集の是非を把握してコントロールできるのか。これらはすべて、まだまだ多く存在するリスクの一握りに過ぎないのかもしれない。


### 終わりに

駐波では今後もこのように深く倫理面でも考えさせられるトピックに関して、さらに具体的に討論していく予定です!
また、今回の件に関して他に疑問があれば、ぜひコメントを残していってください!*7


訳者注
*1: 元記事の発表時点で20時間.
*2: 元記事では若干混同している印象もありますが、HIV感染により生じる症状がエイズ。
*3: 多少誇張した表現に見えますが原文ニュアンスそのまま。薬の技術が大幅に進歩していること、即座に死に至る病ではなくなっていることは確か。
*4: 遺伝ではなく伝播。母親の母乳からの感染が主とされている。(原文では2個目の”伝播”は”遺伝”に近い意味で使われている気がするが..)
*5: NHEJの説明としては若干不安だが、原文ニュアンスそのまま。
*6: 例えばイギリスでは、ヒト胚の編集自体は(明確な研究目的のもと)可能だが、母体に戻すことは不可能。 日本でも原則同じ流れ。
*7: 中国語/英語でぜひ駐波サイトでコメントを! 或いは本記事に対する日本語コメントも歓迎します :)

*a: 11/28 PM9:00頃 誤字修正しました. Moe氏ありがとう!

訳者出典:
https://www.broadinstitute.org/blog/why-it-so-hard-make-hiv-vaccine
https://www.broadinstitute.org/publications/broad5322
https://www.broadinstitute.org/news/crispr-pioneers-feng-zhang-and-david-liu-respond-report-embryo-editing-china
https://www.crick.ac.uk/research/labs/kathy-niakan/human-embryo-genome-editing-licence
https://www.who.int/hiv/topics/mtct/en/ 


(その他ぼやき):

- noteだとイタリック表記できないの許してくださいな..笑

- Markdown表記実装してほしい..........

- gnomADではunconstrained. regional constraint的なものもそこまではっきり見えない.. population specific constraintをみたら面白いことがあったりするかな?  http://gnomad.broadinstitute.org/gene/ENSG00000160791