永遠の命とは?死を破るためには死を破ったイエスの生き方を聖書で学ぶしかない

私は次のように聞いた。
般若心経の空観というものが非常に私の場合は助けになりました。自分自身の考え方が空だという意識ですね。これはゴーダマの意識ですが。ゴーダマの意識を踏み台にして聖書を読みますと神の御霊による導きというのは大変受けやすい。例えば、皆さん方が目でご覧になるこの姫百合ですね。姫百合の葉っぱは青く見えますね。実はこれは青くないのですよ。この姫百合の葉っぱは青という色を拒んでいるんです。青という色を拒否しているんです。拒否された色が皆さん方の目に飛び込んでいるんです。だから青く見えるんであって、実は青くないから青く見えるんです。そのように人間の肉体感覚の五官というものはひっくり返ったものの見方をしている。例えば、(自分の)目が見えるというようなものの見方をしているんです。白いものが黒く見えているんです。自分自身の考え方は空なんです。これが般若心経の五蘊皆空の原理なんですね。私は五蘊皆空ということを承知して聖書を学び、神の御霊によってイエスという人の思想のあり方がわかりました。完全にわかったとは申しませんが、基本的なですね本質がわかりました。私自身が生きているということの中に、永遠の生命があることが、イエスが自分で見ていたように私も私自身の中に永遠の命があることがちゃんとわかってます。これを申し上げているんです。もしご希望であればいくらでも永遠の生命を差し上げますよ。やってごらんなさい。これは行(ぎょう)でもなんでもありませんよ。ただ聖書の方針に従って聖書に対して脱帽敬礼するだけのことなんです。聖書意外に脱帽敬礼すべきものはどこにもないのだからしょうがないですよ。死を破ろうと思えばね。死という天敵を破ろうと思えば、どうしてもね、死を破った人の話を聞かなきゃしょうがないということですね。

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