見出し画像

放課後は続くよ、どこまでも その2

 初雪でも降るんじゃないかと思うくらい寒い秋のある夜、一緒にこたつに入ってテレビを見ていた中3の妹が「お姉ちゃん、ナカタシンイチロウっていう人と付き合ってるの?」と、突然そんなことを言いだした。
「んっ?」私は、何を聞かれたのかさえ分からず聞き返した。
「何?」
「だから、付き合ってるの?」
「誰と?」
ナカタシンイチロウっていう3年生と」
全然、話がかみ合わない。というか、何のこっちゃという感じだ。
「そんな人知らないし、、、。付き合ってる人もいないよ。何で?」
「南校の2年生の中で、噂になってるって。カコちゃんが言ってたよ。」
カコちゃんとは、妹の同級生だ。南校に通う2年生の姉がいる。

 まさしく、青天の霹靂、初めて聞く名前の人と上級生の中で噂になっているなんてこと、こんな地味な名もない1年生にあり得るはずがない。そんなあり得るはずがないことがあるらしいことに心底驚いた。
「なぁーんだ。違うのか。」と少し疑わしそうに、私の顔をジロジロと見ているが、すぐに興味は消えたようで、その視線はテレビに戻った。
 南校は、網走市以外の近隣の市町村から通学している学生が3分の1くらいを占める。しかし、網走の隣町の中学校までその噂が届くなんてことがあるのか。それも、こんな根も葉もない噂が。

 そんな、秋の夜が40年前にあったのだった。
 まあ、その噂は噂のままで、すぐに大学受験の季節がやってきて、学校に来る3年生の姿は日に日に少なくなり、冬休みが来て、3年生は卒業していった。だから、『ナカタシンイチロウ』は、ほんの一瞬、私の人生に現れ消えていった『幻の男』なのだった。

 私は、フラッシュカードのように、覚えている2コ上の男子の顔を思い出していこうとするが、何せ40年前の記憶。それも今、目の前にあるのは40年後の顔なのだ。結び付けようにも、何も結び付けられない。図らずも『ナカタシンイチロウ』を凝視することになってしまった私を面白がるように、円卓の男たちは互いの顔を見合わせ、その視線は『ナカタシンイチロウ』に集まった。当の『ナカタシンイチロウ』は、戸惑いの表情で周りの男たちの冷やかしの言葉に、首を横に振っていた。
 そんな男たちの様子に、私は、ハッと我に返った。「何、何、何があった?」と、言うミックさん。この空気の中では、最も適した問いかけだ。
 その時、正に天の助けのように私のスマホが震えた。私はミックさんたちを制するように右手を出して、スマホに話しかけながらロビーに向かった。少し遅れてくると言っていた同級生からだった。まだ何か言いたげな男どもを残して、『幻の男』の真相を知りたがるミックさんたちを残して、早足でそこを離れた。「幻の男ってー。」ふざけたミックさんの声を背中に聞く。どっと笑うみんなの声。さすが夜の商売が長いだけある。こんな時もにぎやかに場を盛り上げてくれる。ありがとう、ミックさん。いや、ありがたくないか。

 電話を終えてロビーのソファで一息ついていた私に向かって歩いてくる男性がいた。『ナカタシンイチロウ』だ。ここから逃げ出したい気分だ。何を話したらいいのかわからない。
 目の前のソファに腰かけた彼は、
「名前、聞きました。ユッコさんって有希子さんですよね。思い出しました。俺が3年の時に1年だった。噂になりましたよね、俺と。」
「知ってたんですか。というか、そんなこと覚えてたんですか?」
まさか、そんな昔の事を覚えていたなんて。私だって、記憶の彼方にあったのに。このビールパーティーの準備の中、同級生と電話で思い出話をしている中でふと思い出したのだった。
「あれ、俺のせいなんですよ。」と、彼は、頭を掻きながら話し出した。

 学校祭の模擬店の店番を変わったところを待っていたかのように目の前に現れたのはツトムだった。
「シン、お疲れ。ちょっと付き合って」と、ツトムに肩を組まれた。返事をする間もなく、有無を言わさぬ勢いで連れていかれたのは、写真部の模擬店だった。
 なかなかの盛況だった。実は、昨日から話題になっていた。教室の壁や2列に並べて建てられた青地のパネルに貼られていたのは、生徒たちのスナップ写真だ。ここ何週間か、写真部が総力を挙げて、生徒たちの写真を撮りまくったのだ。1枚100円で購入できるらしい。100円という値段と『すべて、現品限り』と書かれたB4のコピー用紙がそこここに貼られている。
 おおまかに学年ごとにコーナーが分かれている。僕たちは、3年のコーナーにまっすぐ進んだ。見慣れた同級生のはじけるような笑顔や部活中の真剣な顔、みんなの高校生活がそこにぎゅっと詰まっていた。
 「可奈子がうるさいんだよ。他の奴に買われる前に買えって。彼女の写真を他の奴に買われてもいいのってさ。」
 めんどくさそうには言ってはいるが、なんだかにやけているから説得力がない。こんなだらしない顔、部活の後輩には見せられない。可奈子と付き合い始めてからのツトムは、彼女のいいなりだ。でも、楽しそうだ。
 無事に見つけた可奈子の写真を小さなプラスチックのかごに入れ、俺たちは、入り口の会計に向かった。「で、お前は?」パネルの写真を眺めながら、ツトムが聞いてきた。
 「えっ?オレ?オレはいいよ。」
 「いないの?好きな奴?」
 「付き合ってもいないのに、自分の写真を持ってられるのって、気持ち悪くないか?」
 「なんだ、いるの?好きな子?いるよな、そりゃ。」
 興味津々の顔をこちらに向けてきた。黙っていると、肘でこっちをつついてくる。何だか、面倒くさいことになってきた。そうだ、こうなると、こいつはしつこい。ツトムは、軽くヘッドロックをかけてきた。ギブの合図でツトムの腕をパシパシとたたき、ヘッドロックを振りほどいた。
 目の前のパネルは1年生のコーナーだった。見覚えのある明るい笑顔が目に入った。あの娘だ。俺の視線の先をツトムは目ざとくたどった。
 「えっ、この娘?1年コかよ。」ニヤニヤしながら、その写真を指差した。あー、本当にめんどくさいことになった。どうすれば、黙るんだ、こいつは。しかも、声がでかい。その声に、振り向く奴もいた。
 「いいから、行くぞ。」今度は、オレがヘッドロックをかける番だ。ツトムを引きずるように会計に連れて行き、お金を払わせて急いで教室を後にした。

 友達が私の写真の前で勘違いして騒いだのを誰かが見ていて、なぜかそれが噂になって広まったのだと、学校祭での出来事をかいつまんで話してくれた。長年の謎がこんな風に解けるならビールパーティーいいものですね、と私たちは笑いあったのだった。
 
 

                          (*続きます。)

いいなと思ったら応援しよう!