あのフォークデュオが生まれた日
今日からは少しまとめて本を読む時間がありそうなので、図書館に本を借りに行った。教室に戻るとすでにクラスメイトの姿はなく、開けっ放しの窓からは心地よい風が吹き込んでいた。そういえば、朝のラジオでは梅雨明けが近いことを報じていた。横浜港の船だろうか、その風に乗ってかすかに汽笛の音が聞こえる。僕は、借りてきた本を学生カバンに押し込み、窓を閉めて玄関に向かった。
今日から1週間は期末テスト前の部活禁止期間だ。進学校と言われるこの高校でも、半数以上の生徒は放課後を部活で過ごしている。日頃、部活で暗くなるまで学校で過ごす生徒たちとって、テスト前の禁止期間の初日は、部活から解放される日にもなる。どんなに好きな部活であったとしても、明るいうちに下校し、普段できないことができるのはワクワクする。実際、僕も本を借りてきた。高校2年生ともなれば、定期試験への対策や情報は先輩から色々流れてきている。そう慌てる必要もないだろう。
校門を出ると、「よぉ!」と声をかけられた。ヤスだった。彼とは不思議な縁がある。中学の時、学校は違ったが同じ進学塾に通っていた。そして、第一志望の受験に同じように失敗し、この高校で再会したのだった。クラスは違ったが、お互い中学では野球経験があったので、高校でも野球部に入部しチームメイトとなった。数少ない気の置けない友人の一人である。
僕らは、今日は少し遠回りをして帰ることにした。通学に使っている根岸線のいつもの駅とは反対方向に曲がって歩き出した。試験範囲の話や部活の話などをしながらのんびりと歩いた。
緑色の高いフェンスが見えてきた。このフェンスの向こうはアメリカだ。アメリカ人が使う米軍専用のゴルフ場の芝が広がっている。戦後アメリカ軍に接収された場所だ。何年か後には、その接収も解除され日本に戻されるらしい。
1メートルほどのコンクリートの土台の上に、その2倍くらいの高さの所々剥げかかった緑色の金網のフェンスが長く続いている。僕らは、その土台にもたれかかり、とりとめもない話を続けていた。
「ヤスは、どんな音楽聞いてるの?」と、僕が聞くと
「FENをよくかけてるから、アメリカンポップスとか?PPMとか?」
と、ヤスは答えた。
「ビートルズ聞いてる?」
「あー、ビートルズ良いよね。」
ヤスのその答えが嬉しくて、
「声が重なってる感じやビートとか、フォークとは違った感じがさ。良いよね、オレもよく聞いてる。」と、思わず早口になった。
「I should have known better with a girl like you~♪」と
その1節を口ずさむと、ヤスは僕の歌うメロディーの3度下をハモってきた。
えっ!ハモってきた!
時々、自分の部屋でレコードに合わせてハモってみることはあった。それは、ちょっとした遊びだった。あくまで真似事でしかなかった。
だから、二つの肉声が混じり合うことで、こんなに気持ちのいい音楽になるなんて知らなかった。
ハモるって気持ちいいなぁと歌いながら思った。何だか、ゾクゾクした。
音楽の時間にコーラスをした経験はあった。でも、こんなに直に二つの声が混じり合う気持ちよさがあるなんて。
僕とヤスの二つの音が混じり合って溶けて新しい音を作っていく。
ハモリってこんなに気持ち良いんだと思った。それはヤスも同じだったようだ。僕らは、何度も何度も繰り返し同じ曲を2人でハモり続けた。
この出来事をきっかけに、2人は友達に声をかけバンドを組み、翌年の学園祭に出演し、大喝采を浴びることになる。
そして、そう遠くない将来、彼らはフォークデュオとしてメジャーデビューし、5人編成のバンドとなり、武道館でコンサートをする人気バンドとなる。しかし、やがて二人は袂を分かつことになる。
しかし、その時そんな未来が待っていることを知る者はいなかった。
誰一人として。
これを書くために根岸森林公園について調べるうちに、増田俊郎さんが作った私の大好きな歌『フェンスの向こうのアメリカ』『YOKOHAMA』をより深く理解することができたような気がする。私の好きだった曲がこんな風に繋がるなんて。
また、時代はジブリ製作の『コクリコ坂から』の時代背景と合致することにも気付き、この世界をとてもリアルに感じることができた。
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