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1030「人の間」

午前中のミーティングがキャンセルになってしまって、ちょっと気が抜けてしまい、ひどい睡眠不足も相まって動けなくなってしまった。やっと作業を開始してどうにか前に進んでいるが、あれだ、どうも疲れが溜まっている。

朝、起きる直前に妻が来て、耳に針を刺して血糖値検査キットで採血して血糖値をはかってくれた。いつもは針怖杉なのでどうしても逃げ回ってしまうが、今日は寝ぼけていたのでいつのまにか終わった。糖尿病の再発(?)診断が下ってから、ここしばらくかなり節制していて既に3kgは痩せたのだが、その効果か、数値は正常値の範囲には下がっていた。ただそれよりも何より、生活が早死にモードから長生きを目指すモードにギアチェンジし始めた感はあって、それがとても良かった。

昨日、明日書くとか言っていた話で、「人気」みたいなものはとても同調的な何かだな、的な話だが、結局もうこれは今まで散々議論されてきたことで、トランプが当選したのもそうだし、日本の選挙なんかでよく言う「風が吹いた」みたいなのはそういうことなのだろう。人間はとても社会的な動物だから、自分が属しているコミュニティに流れる空気を読んで同調してしまう。

逆にそういう、「群れと折り合いをつける習性」がないと猿が進化したそんなに力が強くない動物がサバイブすることはできなかったのだろうし、そう考えると、マスメディアというものが、ものすごい同調装置として作用してきたことも必然だろうし、たとえば私は少なからず広告の世界で働いてきた人間だが、広告をつくる上で中心になっている「ストーリー」というのは人間が同調するための触媒というか補助線だ。

つまり、人間はわりと同調することが気持ち良いと感じがちな生き物だし、ベクトルがそっちに向いているわけだから、同調への階段を上るアシストをしてくれるメディアみたいな装置は基本的に好きなのだろう。

ラジオもテレビがすごいのは、何もないところから、明らかに人間という生き物が好む装置を発明していることだと思う。みんなテレビがとても好きだ。

そう考えると、「そんなに同調しなくっても、あなたはあなたで好きなことをやっていいんですよ」という、既存のメディアに対する革命として広がったインターネットがあったときに、その中で人間が自分たちの本能が求める同調アシスト環境をつくろうとするのはそれも必然なのかもしれなくって、それがいわゆるソーシャルメディアなのだろう。

私はいわゆる発達障害の人ではあるし、ずっとこの世の中はマイノリティには辛いものだなと感じていて、しかしインターネットという存在は、青年期に突然出現した救済みたいなところがあった。

しかし、人間はインターネットの使い方がまだわかっていないし、わからないまま、本能の赴くままに、インターネットをちょっとアレな方向に捻じ曲げてしまったのかもしれない。人間はどうしたって動物の一種で、気持ちいい方向に流れていく。世界大戦なんていうものは、人間たちが気の赴くままに進んでいったらそうなってしまった、というもので、わりと同じなのかもしれない。

総じて言うと、人間というものは結局そういう生き物なのだろう。

だからこんなにも「人」の「間」で生きることは面倒なのだなと思う。

別に何があったわけではないですけど。

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