0103「酩酊読書の誓い」

2020年の初頭の段階から結局40kgくらい痩せたのだが、日本にいるとあらゆるものが美味しいのでここのところリバウンド気味になっていて最痩せした段階から5kgくらいは増えている。ゆえに、この年末年始は体重を戻そうと思ってそれなりに食事制限をしているのだけど、イベントの多い季節でもあるので、なかなか思うように体重が減ってくれない。筋トレを継続してそれなりに体質が変わってきている自覚もあるが、もともと過食傾向にある人間なので、油断するとすぐに体重と体脂肪率がアップトレンドに入ってしまう。

しかし、ここ2年、だいぶ身体の状態・変化というものに敏感になってきている感じがある。年が明けてからはいわゆるおせち料理を食っていた。おせち料理というのは非常に甘い。すなわち糖分が多い。普段、ものすごい糖質制限をしているわけではないけど、糖尿の傾向もあるゆえにタンパク質を中心に食事をしていると、おせちのような糖質の多い食事をしたときに明らかに身体がふやけた感じになる。実際、糖質というのは水分を吸ってしまうものなので、身体がふやけた感じになるというのはたぶん正しい感覚なのだが、なんか、身体が自分の体ではなくなったような浮腫んだ状態になってしまう。

それが身体だけではなく精神状態にも悪い影響を与えてくる。精神状態も浮腫んできてしまう。生きている時間に対して丁寧さを失うというか、身体がゆるくなると人生に対する集中力が失われる感じがする。

そう考えると、2019年くらいの、全く食事を気にせず身体も鍛えず太り散らかしていた時期は、たぶんずっと精神状態がふやけていたはずで、確かに数年前に較べて、生活への解像度というものが上がってきているような感覚がある。

別に痩せたこととか鍛えていることをドヤりたいわけではなくて、人間の心身というのはそれだけ摂取しているものの影響を受けまくるということで、人生というものを自分の育成ゲームであると捉えると、自分にどんな餌を与えるかによって、自分がどういう人になるかがどんどん変わってくるということだ。野菜とタンパク質を中心に与えていると切れのある人になるし、おせち料理漬けにするとボーッとした人になる

これは、食物だけの話ではなくて、常々いろんなところで言ってしまうのだが、摂取するコンテンツも同様だ。文章にしろ音楽にしろ映像にしろ、目や耳を通して、脳にどんなコンテンツを摂取させるかによって、人間の状態というのはどんどん変わってくる。

そういう意味で、昨年の後半の自分は実に終わっていたように思える。摂取するコンテンツといえば、YouTubeで公開されている雑な教育コンテンツとか、ゴシップまがいの物が中心になり、いつの間にか無料のネットニュースばかり閲覧するようになっていた。大相撲の本場所中は相撲系のコンテンツが活発になるし、相撲系のコンテンツの多く(ブログとか映像とか)は愛をもって制作される傾向があるのでまだ良いのだが、そうではない時期の自分の摂取コンテンツの荒れっぷりというのはひどいものだった。

ソーシャルメディアで拡散されているコンテンツの多くは、全てとは言わないが「栄養価が低い」コンテンツのような気がする。栄養価が低いコンテンツはお菓子のように摂取しやすい味と食感を持っている。

年齢を感じざるを得ない。栄養価が高くて歯応えのあるコンテンツを摂取するための集中力が失われている。そして栄養価が低いお菓子みたいなコンテンツばっかり摂取しているので、さらに集中力が失われていく。

言い訳すると、昨年の後半はめちゃくちゃ忙しかった。しっかりしたコンテンツというものは、しっかりと時間を確保してしっかりと向き合うべきもので、忙しい時間の隙間で消費してはいけないんではないかという意識があって、日々の隙間の中で消費することを失礼だと考えてしまう傾向がある。ゆえに、隙間にふさわしいどうでも良いコンテンツを摂取することになっていた。

ここのところ、とある有名な先輩クリエイターの方に可愛がって頂いていて、いろんな話をお聞かせ頂いたり、いろんな方をご紹介頂いたりするのだが、その方は常に忙しいし、常に酔っ払っているように見えるのに、常に新鮮な知識の仕入れを怠っていない印象があって、こんな生活しながらどうやって健全さを保っているのかちょっと不思議だった。

不思議だったので、最近その方の息子さんを捕まえて事務所の屋上で燻製を振る舞いながら問い詰めてみたら、その方は、いかに酔っ払って帰ってきても、屈託なく本を読みまくり、おそらくあまり内容を覚えていないのだけど、気になったところをマークしておいて後で見返す、という習慣を持っているらしかった。つまり、「酒に酔っていても頭に引っかかってくるほど大事なもの」を酒に酔ってフィルタリングすることで抽出しているようなイメージだ。

私は前述のようにちゃんとしたコンテンツを雑に消費できないタイプの人間だったので、これは驚いた。そうか。丁寧につくられたものには正座して向き合わないといけないと思っていたが、正座しなくっても向き合わないよりマシなのか。

良く考えたら、人間の長い歴史の中で生み出されてきた優良なコンテンツというのは無数にあり、一生かけてもとても摂取しきれない。そう考えると、いかに隙間で集中力がない時間でも、酒に酔っていても、どんどん優良なコンテンツを摂取していかないと、間に合わない。時間や気持ちに余裕ができるのを待っている場合ではなく、どんどん見て、聴いて、読まなくてはならない。そして自分をしっかり引き締めていかなくてはならない。

というわけで、今年は、いかなる隙間時間でも、酔っ払っていても、ちゃんとお金を払って丁寧につくられたコンテンツを摂取する、ということを徹底していきたい。酒に酔ってお菓子を食ったり、スマホでコタツ記事を読むほど不健康なことはないのだから、酒に酔っていても、内容覚えていなくても読書すべきなのだ。酩酊読書の誓いをもって、2022年の抱負にしたいと思う。

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