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0418「朝飯とブラジル審査員」

なんか日付がズレているような気がするので、どこかで二日分書かなくてはいけないのか、あるいはそもそも前日の日記を翌日に公開するのがいつものパターンだった気もするので、どっちだったかよくわからないが、4/18について書く。

アメリカは金曜日から、いわゆるイースター休みで、働いている人もいるが、学校が休みになるので子持ちはわりと休みがちなものだ。私は子持ちなので、毎年お休みを頂いている。先月引っ越しもして、わりと貧乏なので、近所に行く、といっても、ナイアガラの滝周辺だ。ニューヨーク州とカナダの国境なので、ニューヨークからは近い。

そしてさっき気づいたのだが、例の風化寸前のパスポートをまだ使わなくてはいけないということだ。カナダ、外国だった。戦いは終わっていなかった。また、入国の人に「このパスポート壊れやすいから優しくして!」と懇願する日々が続く。

2週間ほど家を空けたので、数日間はとにかく家族との時間に集中したい。たぶんこの日記も手短に、いつも以上に時間をかけずにやっていくはずだ。

そして、ずっと家で仕事をしていたので、あまり特別なことがなく、書くことがない。こんなときは、読んだ本の感想を書いてお茶を濁すほかない。とにかく時間をかけずに書き終わらなくてはいけない。きっとこの休みで出かけている間は本の感想ばっかり書くことになるのではないか。というわけで読んだ順に書いていく。

溝口敦「薬物とセックス」を読んだ。これは良い本で、例えばいろんな芸能人の薬物問題があって、報道がなされるのだが、薬物濫用の背景には常にセックスというものがあって、しかし報道的にそのへんに踏み込むのを避ける。しかし薬物とセックスは切っても切り離せないから、切り離しちゃダメだし、理解しなきゃダメだ。という趣旨の本で、実際、薬物とセックスの関係について、作用についていろいろ書いてある。

実際問題、捕まったりしている芸能人などは、カップルで逮捕されるようなことも多い。確かに、しかしなぜそうなっちゃうのかの考察が世の中には無いので、なるほどなーと思わせる。

ここでフォーカスしているのは「薬物問題におけるセックス的側面の軽視」ということになるが、井沢元彦の「逆説の日本史」でよく言及される「日本史の呪術的側面の軽視」を思い出す。確かに、妙なコミュニケーションデザインが作用して、いろんなものの大事なところが明文化されなかったり、無視されていたりというのはよくある。

「海外広告賞における、審査員の朝食時の会話が審査に及ぼす影響の軽視」とか。
朝食時にブラジルの審査員に話しかけられて、自分のところの作品を売り込まれる、みたいのは、電通澤本さんが脚本を担当された映画「ジャッジ」にも出てきた気がするが、あれは事実だ。私も審査員みたいのやるたびに毎回体験する。

「薬物とセックス」では、基本的に覚醒剤の話が中心になっている。なんとなく、ピエール瀧の薬物について人々が言及するとき、「さすが瀧さん、覚醒剤みたいなダサいやつじゃなくて、コカインで捕まるなんてさすが」みたいな雰囲気が漂っているのは、良いとか悪いとかではなく、少し新しいな、と思う。

みんなにも読んでほしいですか?

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