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1101「感謝がない現場はクソ」

あまりネガティブなことを書くのは良くないが、汎用的なことではあると思うので書く。

何か特定の仕事について書いているわけではないし、昨今、多くの場合こういう不幸は起こらないので、今やっているお仕事は楽しくやらせてもらっている。

一緒に仕事している相手がプロとしてプロの仕事をしているのならば、相手の仕事によほどの瑕疵がない限りは、ちゃんと「ありがとう」「お疲れさまでした」なり言わないと完全にダメですよ。思っているだけではダメで、ちゃんと言葉で表現しなければ、家族でもない、仕事で絡んでいる程度の関係性では伝わるはずがないし、それはたとえば、同じ会社の人間なんかでも必ずしっかりやらないといけないことだ。感謝を表現しない、ということは、その人の仕事を卑下して、無視しているということに等しい。

私は30でデジタル制作の会社に入り、そのときにほぼ初めて、「広告業界」というものに足を突っ込んだのだが、そこで一番ショックを受けたのは、手を動かしてものをつくっている「制作会社」というものが時として、受注元である「広告代理店」の奴隷のように振る舞ってしまうことがある、ということで、受発注関係や商流というものがあるゆえに、発注側の力が強く、受注側は感謝もされずに何でも言うことを聞かなくてはいけない、みたいな構図が往々にして生じていて、まあ驚いたものだ。

私の場合は幸い、多くの場合良い人とお仕事をさせて頂くことができたので、気持ち良い仕事をさせて頂くことは多かったが、時折、ひどい現場に立ち会うこともあった。その多くはその現場に謎の上下関係が生じているような場合だ。もちろん広告代理店と制作会社の関係に限ったことではない。

良いものをつくるために全力で戦ったのに、感謝もされず、時にはクレジットもされず、何もやっていない奴が知ったかぶってメディアのインタビューを受けているようなこともあったし、言葉だけではなく、暴力的なハラスメントを受けたこともあった。あまり表で話したことはないが、蹴られたこともある。蹴られるだなんて、もはや堅気の仕事ではない。自分だけではなくて、自分の仲間がそういう扱いを受けたこともあった。

で、何が言いたいかというと、そういうやり方も欲求も、ハラスメントも、何もかもが、良いものをつくるためには1ミリの得にもならないということだ。というか、そんなんじゃ良いものはできないから、明確に害悪だろう。

プロが楽しく気持ち良く仕事する現場以上に、良いものを生み出す現場はない。

何はともあれ、一緒に何かつくっている限りは、上も下もないっていうことだ。各々が各々の持ち場を持っているというだけだ。それ以外に何もない。相手に意見をするのは物事を良くする上でもちろん必要だし、時には誰かが独裁者としてプロセスを進めることは必要だ。しかしそれは、一緒に働いている人間に感謝をしなくて良い理由にはならない。一緒に持ち場を分けて仕事をしている限り、どういう関係であろうと、お互い補完関係にあるのだ。

自分自身がプロであって初めて、相手がプロとして仕事をしていることを肌で理解できるものなのであって、その理解さえあれば、別に誰に言われなくとも自然と頭が下がるというものだと思う。それができないのは、その人がプロではなくて、自称プロの勘違い野郎でしかないということだ。

以前、何かを勘違いしている自称アーティストに、清水はヘコヘコしてる、とか陰口をたたかれたことがあるが、自分が人に頭を下げて相手が報われてくれて、次また良いものをつくることにつながるのなら私はいくらでも頭を下げるし、きちんと感謝ができない仕事をするくらいなら、ヘコヘコしてると思われたほうがマシだ。

感謝がない現場はクソだ。それがいかに良いアウトプットだったとしても、クソなんですよ。

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