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0101「今年も年始がしんどい」

新年あけましておめでとうございます。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

今年のお休みは、毎日こんなふうに、忙しくて文章にできていなかったことを整理して書いているのだが、毎年感じてしまう正月の苦しみみたいなものについて書こうと思ったところで、「あ、もしかしたらこれはいつか書いたことがあるかもしれない」と思って遡ってみたら去年、今日書こうと思っていたことを大体同じことを書いていた。

そして例によって、仕事で緊張しすぎちゃって怖い、自分はそもそもコミュ障なんだよ的なことを書いている。

毎年年始に考えることは同じなようで、今年も年始を迎えて、どうにもしんどくって仕方がない。そんなもんで、同じようなことを書きたくなってしまっている。

年末のいろんな人の一年のまとめとか、正月のいろんな人の所信表明とかを見ると、みんなやる気ありすぎでつらくなるという話だ。人々のポジティブなやる気パワーにあてられてしまってしんどい。実際ここ数日結構しんどいところはあるのだが(とはいえ、見たくなかったら見なきゃ良いので気にしないで頂いて良いのだが)、一方で、こんな文章を毎日書いて公開していることが誰かを焦らせて追い詰めているのかもしれない、と、一年前に書いた文章を読み返してみて思った。

ピアノを師事している西山先生が、ここのところ脚光を浴びがちなストリートピアノについて書かれていたのを思い出した。短くすると、公共の場所で音楽を演奏することは、そこに音楽を望んでいない人がいる場合があり、ノイズになってしまう。もしかしたら暴力になってしまう。ということだ。

そういった公共の場におけるノイズの感覚というのはソーシャルメディアでも近いものがあるのかもしれない。

自分の文章であるとか、仕事の告知であるとかそういうものも、あまり声高らかに、年末年始のタイムラインであるとかそういうところで主張すると、人を疲れさせてしまうこともあるのだろうなと思ってしまう。ソーシャルメディアは辛かったらフォローを外したりミュートすることができるし、各々そういう対応をすれば良いかとは思うので、ストリートピアノとは事情が違うことは分かりつつ。

時には誰かのノイズになってしまうことが避けられないかもしれないが、なるべく、しんどい人を慮れるように、歓迎してくれる人に歓迎してもらえる出力をするように、行動していきたい。

前掲の昨年初に書いた記事と同じことを書いて年始のご挨拶にしたいと思う。

年始でしんどい人たちが、私以外にもたくさんいるはずだと思っているし、そんな人たちに「今年の俺はがんばるぞ!」ではなくって、「今年もどうにか、一緒にがんばってやっていきましょう」と言いたいし、むしろ私がそんなふうに言って欲しいんだと思う。

今年もスタートしてしまった。今年も怖くって失禁しそうだが、どうにかこうにか、向こう岸にたどりつけるようにがんばっていければと思う。

仕方ないので今年も頑張って泳ぎ始めます。本年もよろしくお願いいたします。


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