私の人生に足りなかったもの

私は怠け者だ。でも私にだって人並みの欲望くらいある、彼氏だって欲しい。でもそんな時間もお金もないし、願いなんて一つも叶わない。何処にでもあるような下らないアルバイトをして帰って眠る。休みの日にはもっと眠る。髪はボサボサで、美容院に最後に行ったのはいつだったかも忘れてしまった。そういう、下らない人生を送るだけの怠け者だ。

ある日、バイト先に後輩として若い男の子が入ってきた。彼はとても優秀で、どんな仕事もそつなくこなして、笑顔は絶やさない。苦学生なのだと他の店員が言っていた。「私とは正反対の人間だ。」そう思うと、何故か悲しくなってきて、彼にはよそよそしく接してしまうようになった。

彼は私によく質問する。趣味や日々の暮らしの些細なことだ。適当に返答をするのが通例になってしまっていた。

そんなある日、少し早く夜勤を終えた。未明だ。あの腹立たしく不快な光を放つ太陽が上りきる前に、とそそくさと支度をして帰路につこうとした。すると、建物を出た瞬間に名前を呼ばれた。こんな時間に声をかけるのは誰だ。私は早く帰って眠りたい。でもその内側で気付いていた。あの子だ。優秀で私とは違う人種のあの子だ。

私は困惑してどもった。何の用事だ。愛の告白でもするつもりか?ありえない。私に対してそんな感情を持つ人間に出会ったことなど、一度たりともない。困惑の果てにようやくひねり出した言葉は「な、何?」。我ながらなんともつまらない、私という人間を表すほどつまらない。

彼は返答する。「こっちです!ついてきてください!」…何を言っているんだ。私は帰りたい。眠りたい。一刻も早くこの現実から逃れたい。すると彼は踵を返し、そそくさと歩きだしてしまった。わけがわからない。私は…

何もついていくことにしたわけではない、ただ分からないのでついていくしかなかった。考える時間は無かった。彼は時々こちらを振り返り、その度ペースが少しずつ上がる、歩いているだけなのに息が切れてきた。情けない、歩くことさえ私には苦なのか、そう思うが、ついに彼は軽快にゆっくり走り出してしまった。どうしよう、ここはどこだ。このままでは帰れなくなる。思考が間に合わない、ついていくことだけ、ただそれだけのことしか考えられなくなった。苦しい、苦しい、苦しい。もうダメだ。「もう無理だよ!」私は大声を出した。こんなに大きな声が私の喉から出るなんて思いもしなかった。そう思うより先に彼は再び踵を返し、こちらへ駆け寄ってきた。

「先輩!見てください!」彼は指をさしている。これほどの苦痛を経て、一体何を見るというのか。息が苦しい、でもゆっくり私は彼が指し示す方を見た。

「朝焼け…?」

あの憎たらしい太陽がほんの少し顔を見せていた。「綺麗…」口をついて出た。そんな馬鹿な。今まで最悪の厭悪の対象であった太陽に向かって私は確かに「綺麗」と言ったのだ。ぜえぜえと呼吸を整えて、少し頭に酸素が回ったのか、ここが何処だかに気付いた。もといた建物の前だ。

理由や説明が必要だ。「ねえ」と声が出るか出ないかのタイミングで彼は「では、失礼します!」と走って何処かへ行ってしまったではないか。何だったんだ。私はしばらく呆然と立ち尽くし、ただただ上る太陽を見ていた。光がオレンジから普通の太陽になるころ、私は再び歩き出し、帰路についた。その後アルバイトで顔を合わせても、彼は何事もなかったようないつもの彼だった。

私はその出来事を解釈する必要が無いのだと気づいた。ただ私達は、息を切らし、朝日を見た。たったそれだけのことなのだった。

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