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「ラストレター」 あらかじめ失われた物語たち (ネタバレ)

重要人物があらかじめ失われている、これが岩井俊二の「レター二部作」に共通した設定だ。

「ラブレター」では山で遭難した恋人、そして「ラストレター」では自死した高校時代のマドンナ。二つの作品はいずれもこの人物の葬儀に関連したシーンから始まる。

このことが映画に彼らを「思い出す」というベクトルを与える。

残された人々は、失われた人を思い出す。ある人は恋焦がれて、ある人は恨んで、ある人は嫉妬して、ある人は諦めて、ある人は同情して、ある人はそこに希望を見出して、様々な思いを抱いて思い出す。

「弔う」という意味は、生者が死者を「思い出す」という事なのだ。

二作品は同じ弔いを描いても、監督の年齢が上がったことで、今回の「ラストレター」では、思い出す年数がその分、増えた。

30年。それは苦い思い出ですら、甘美に熟す時間だ。

初恋のあの切なさ、伝わらない想い、純粋と情欲の間でもがき苦しむ葛藤。それらが美しい映像で語られる。

この映画の美しさは、初恋に落ちる瞬間を見事に切り取ったことに尽きる。マドンナがマスクを外した瞬間に少年は初恋に落ちる。その転校生の少年が部室に来た時に妹は初恋に落ちる。

その初恋に落ちるという、あの誰もが体験し、誰もが2度とは体験出来ない貴重な瞬間が、この映画で見事に切り取られている。

そしてそこから始まる懊悩と苦い別れ。そして30年にも渡る忸怩たる想いも描かれる。

時の経過と共に次第に醜さは漂白され、純粋な部分だけが先鋭化されていく。甘美な思い出として人生最高の時間として、美記憶になる「初恋」という時間。

姉を騙ってラブレターの交換をしていた妹は、ちゃっかり「美記憶」を楽しんでいる。初恋を成就させたが、その後他の男に寝取られた転校生はその「美記憶」で小説を書く。初恋の男を捨てた姉はその後の不幸な生活な中で、唯一の希望を初恋の「美記憶」に置き、生涯慰撫し続ける。

これは初恋の世代にはわからない「初恋という美記憶」を巡る話なのだ。15歳が30年歳を重ねることでこの映画の本質が見えて来る。

久しぶりに初恋を思い出して、びっくりするくらい汗をかいた。あの恥ずべき人生最高の時間、狂おしいくらい純粋だったあの時間、あぁ、初恋。

そうか、僕の初恋は「ラストレター」を観たことで、見事に弔われたのだ。



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太田泉
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