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【1000字書評】今村夏子『星の子』まともなのはいったい誰? 

2022年9月の課題書は、今村夏子『星の子』でした。
どうしてこの本が課題書になったのか?
そう、言うまでもありません。あの銃撃事件が発生したため、「宗教2世」を描いたこの小説を読み直そうということで選ばれたのです。

『星の子』とは?

といっても、『こちらあみ子』などの今村夏子の小説を読んだことがあるかたならおわかりのように、この『星の子』は「宗教2世」の問題を鋭く切り取った社会派小説、といったものではまったくない。

この物語は、中学3年生の主人公ちひろによって語られる。
どことなく実年齢より幼い印象のちひろは、エドワード・ファーロングのファンになったこと(エドワード・ファーロング! 懐かしいな~と思った)、仲良くなった〝なべちゃん〟にちょっと好きだった男子をとられたこと、モンブランが好きなこと……と同じような淡々とした口調で、
両親が〈金星のめぐみ〉という「宇宙のエネルギーを宿した水」にのめりこんでいること、おじさん(母親の弟)が両親の目を覚まさせるために家にあがりこんできたこと、姉のまーちゃんが家を出て行ったこと、家がどんどんと貧しくなっていくこと……を語る。

ちひろの視点から見ると、宗教にはまっている両親はたしかにおかしいのだけれど、一方で、宗教を否定するおじさん一家にも違和感を覚える。
そして宗教とは無関係な中学校の交友関係も、宗教2世の子どもたちの集会も、どちらも同じようにいびつである。いびつなものをいびつなまま描くことのできる、今村夏子の筆力にあらためて感心した。

ご存じのかたも多いでしょうが、『星の子』は芦田愛菜主演で映画化もされています。

物事は単純な善悪二元論で割りきれるものではない。
なにがおかしくて、なにがまともなのかなんて誰にもわからない。
こんな世のなかで、まともでいられる方がおかしいのかもしれない。
そもそも、まともなものなんてこの世にないのかもしれない。

そんなことに気づかさせてくれるのが、この小説のすばらしさであり、物語の力というものをあらためて感じる。

だが一方で、現実に目を向けると、昨今の報道を見るかぎりでは、やはりカルト宗教は「悪」以外の何物でもないのでは? とも思える。
かつてのオウム真理教にしても、早い段階で徹底的に取り締まらなかったから、最悪の事態を招いてしまったのではないかと考えてしまう。難しい問題だ。

以下、1000字書評

学生のとき、弁当を隠して食べる生徒がかならず教室に数人いた。

当時はその理由がわからなかったが、いま考えると食事はその家の事情をもっとも如実に映し出すものだからだと腑に落ちる。たとえ〈普通の家庭〉であっても、どの家庭にも独自のローカルルールがある。家の食事はまさにその象徴であり、子どもは食べ慣れたものへの愛情と、ふだん口にしないものを外で食べたい欲求とのあいだで引き裂かれる。

『星の子』で強く印象に残るのは、主人公ちひろの食に対する執着だ。
おばあちゃんの三回忌法要で出された大きなお弁当箱のふたをあけた瞬間、ちひろは「わっおいしそう」と叫ぶ。七回忌法要の案内をもらい、ちひろは法要まで「お弁当だけを楽しみに」生きる。
ところが、実際に出てきた弁当は三回忌よりも安物に変わっていて深く落胆する。

ちひろは常にひもじい思いをしている。両親も一日一食か、一食半しか食べない。落合さんに教えてもらった〈金星のめぐみ〉、宇宙のエネルギーを宿した水以外は。

しかし、ちひろはひもじいとはけっして語らない。弁当を隠して食べる生徒のように、家の事情を隠しておきたいのだ。それが恥ずかしいことであればあるほど。ちひろは家の外でモンブランやドーナツが出されると目を輝かせて食いつくのに、豆腐と蒸かしたじゃがいもが好物だと言う。生まれ育った家を、両親を、愛しているから。

一日一食で暮らす両親は、節約したお金で〈金星のめぐみ〉を購入し、落合さんの余った食材や手作りクッキー、ひきこもりの息子ひろゆきの食べ残したお寿司をもらってくる。ひろゆきは飢えとは無縁の生活を送っているのに、食べものがらみの行事のときだけ集会に参加し、さらにちひろをドーナツ屋に連れていってキスしようとする。
ちひろと同様に、ひろゆきも家の外で食べる食事を求めている。家で口をきくことができなくなったひろゆきは、食べもので外界とつながろうとする。

姉のまーちゃんの好物だったチョコチップパンは、この家でごくたまに食べることのできる唯一の甘いものだったのではないだろうか。豆腐やじゃがいもではなく、甘いものを求めたまーちゃんは家を出ていく。

ちひろはおじさんの誘いを断り家に留まる。
けれども主食が水の生活をいつまでも続けられるのだろうか? 
あやしげなやきそばのおこぼれをもらうだけでいいのだろうか? 
ちひろがまた豪華弁当を食べられる日が来てほしいと願った。

(2022/11/10)

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