クォイロマンティックってなんですか?

振り返ってみれば2020年はクエスチョニングについて考える機会が多かったように思います。クエスチョニングradioを録ってみたり、ツイキャスの配信やYouTube配信に参加してみたり、クエスチョニング自認のフォロワーさんもたくさん増えました。

相変わらず、クエスチョニングという概念が大好きで、"決めない"というスタンスを貫き、ふわふわとした曖昧さのなかで、居心地よく過ごしてますが、2021年2月 新しい言葉に出会い惹かれています。


クォイロマンティック

自分が他者にいだく好意が恋愛感情か否か、また自分が他者に感じる魅力が性的魅力か否か判断できない/しないセクシュアリティ

Twitterで、ふと目にした【クォイロマンティック】という単語。以前何かの記事を読んだような…初めましてではないような…でも全然覚えてないや。って具合の認識で、ほとんど知らない言葉でしたが、とても気になり検索して調べてみたところ、頷きすぎて頭もげるかと思いました。

あえて自分の意思で 決定していない感覚は、クエスチョニングと同じで、クォイロマンティックの定義を見たときも、自分が他者にいだく好意が恋愛感情か否か、また自分が他者に感じる魅力が性的魅力か否か判断 "しない" セクシュアリティ

の方が、私っぽいな〜と思いました。この辺はそれぞれでしょうが、判断できない のではなくて、判断した結果決めない感じだろうなぁと。

自分が生きていて感じる、ひとつひとつの 好き を、恋愛か、友情かetc...ってカテゴライズしていくのは本当に難しい。そもそもそんなにたくさんのカテゴリーを持ち合わせていない。私のフォルダは「大好き」と「好き」しかなくて、みんな一緒くたにしてるんですよね。関係性の分類はあるけど、伴う感情の分類はない。


今、私という人間はシスジェンダーのクエスチョニングで、リスロマンティックとクォイロマンティック/セクシュアリティを兼ね備えてるみたいです。ハイブリッドな感じ楽しい。


出会った人々、信じたいと思った人々、みんな好きでいたいし、みんなに愛を与えたい。

いわゆる、世間の普通が通用する、愛 や 好き には、いろんな意味がありすぎて、その中の「恋愛」だけを切り取って「恋愛」を中心に生きていくことは、私には難しいけれど、自分がコレだ!って思った考え方をたくさん集めて、いろんな意味を持たせながら 愛 や 好き を表現するのは、とても楽しくて、そんなことをしてる自分自身も好きになれるような気がします。


こうやって変化する思考と、新しく出会う言葉や意味を、楽しみながらこれからも生きていきたい。

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