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ミスタードーナツと母との思い出

社会人になりたての頃は、ドーナツと言えばクリスピークリームドーナツだった。しかし最近、二人分の食費を負担するようになって、再びミスタードーナツのお世話になっている。クリスピーでのドーナツとコーヒーひとりひとつずつの値段で、ミスドではコーヒーひとつずつとドーナツふたつずつが食べられるのだ。

ミスドに行くと必ずと言っていいほど子連れを目にする。わたしも幼いころ、母にミスドに連れていってもらった。少し大きなショッピングセンターに行くと、ドーナツが食べたいとねだったものだ。

わたしが4歳の頃、母はまだ20代半ばだった。金髪ロングストレートの髪に、短いスカートがデフォルトのスタイルだった。わたしは若き日の母が食事をしている記憶があまりない。テーブルにはいつも灰皿とコーヒーが置いてあった。わたしは母の手料理が好きだったが、母自身にはセブンスターとブレンディのイメージしかない。

おとなになって、都会のミスドに行くようになった。最近はお高めのブランドとコラボすることが恒例となり、近所の店舗では売り切れなことが多かった。そんなとき、地元に帰ることがあったので母にねだって懐かしのミスドに連れていってもらった。ショッピングセンターはあの頃のままだが、入居している店舗はそのままだったりガラッと変わってしまったり、中には空きスペースもできて、もののあはれを感じてしまう。

数種類のドーナツを買ってもらった。すべて半分にして、母と分け合った。ああ、あの頃の母もこうしていたのかもしれない。思い出せなかったが、なんとなくそう思った。20代半ばになって、わたしは甘いものを控えるようになった。どうしても食べたいときは、友人と半分にしてわけあったりする。

昔は自分の分は全部自分で食べたかった。とにかく強欲なこどもで、ジャイアニズムにあふれていた。たぶん、母の分も半分もらっていたのだろう。

いまはひとりでひとつ食べるよりも、複数の種類を分け合うほうが好きだ。カロリーそのままで2種類食べられるうまみもあるが、他人と共有する歓びを覚えたのも事実である。おとなになったな、としみじみ感じた。

そして、自分はさして乗り気ではなかっただろう母が、娘のためにそれでも連れていってくれたことに感謝した。自分も子供ができたら、同じことができうるだろうか? あの頃の母の年齢を超えて、そんなことを考える。

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