「センスが良い人」と「センスが悪い人」は何が違う?

「あの子、センスの良いよね~!」とか
「あいつはセンス悪いからな~」と
日常で何気なく使っている ”センス” というもの。

一般的には、服装や身につけるものなど、特にファッションについて、
表現する時に頻繁に用いられると思いますが、
ある時は、スポーツについて「センスがいい」と言ってみたり
またある時には、好きな音楽について「センスが合うね」と言ってみたり
さらには優秀な経営者に向かって、「彼はビジネスセンスがある」
と言ってみたりと、何かとよく耳にする表現です。

でも、なんとなくその定義は曖昧で、なんとも掴みどころのない感覚的なもの、という印象もあります。
ということで、今日はこのセンスというものの正体について考えてみます。

「SENSE」と「センス」

私たちが日常何気なく使っている、"センス”という言葉ですが、語源はもちろん日本語ではありません。
英語に「sense」という単語がありますが、これも本来は、ラテン語の「sentīre」という語が語源となっています。ラテン語の「sentīre」は、「感じる」「知覚する」を意味する言葉で、英語もほぼ同じ意味合いをもちます。下記は英語「sense」を辞書で引いた意味です。

sense  / [séns]

(名)
1.〔動物の機能としての〕感覚(器官)、五感(の一つ)
2.〔感覚器官から受け取る〕感覚、知覚、感触、感じ
3.《senses》官能、快楽感覚
4.《one's ~》平常心、本心、正気
5. 分別ある[理にかなった]判断
6.〔ある分野の〕鑑識力、認識力、センス
7.〔道徳や倫理に関する〕分別、良識
8.〔正しい決定ができる〕知性、判断力
9.〔漠然とした〕印象、感じ、予感
10.〔全体の〕同意、一致した意見
11.〔話などの〕要点、要旨、趣旨
12.〔言葉が伝える一つの〕意味、意義
13.《哲学》意義、内包的意味
(他動)
1.〔感覚器官で〕~を感知する、~に気付く、~の気配を感じる
2.〔直感的に〕~を理解する、~だと分かる
3.〔機械が自動的に〕~を感知する、~を識別する

このように、「sense」という語は英語圏では主に名詞(及び動詞)として幅広い意味合いを持って使われています。

その中でもっとも代表的なのは「感覚」という意味。the five senses=五感、と直訳でも日本語もそのままの意味なのでとても分かりやすいと思います。つまり、動物的・本能的に備わった「感覚・知覚」の部分をさしています。(ちなみに『シックス・センス』 (The Sixth Sense) という有名な映画がありますが、日本語にも全く同じ「第六感」という表現があり、直訳で同じ表現ってなんだか面白い…!)
一方、知性や理論に基づいた判断や認識力、意見や分別、鑑定眼といったニュアンスも持っています。

したがって、感覚や知覚、といった意味あいから、良識や判断、分別、認識力といった意味あいまで、文脈や使われ方次第で、大きくニュアンスが変わる英単語なのです。

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では、私たちが日本語(カタカナ語)で使っている「センス」いう言葉ですが、こちらも辞書によると下記の通りです。

センス

1. 物事の感じや味わいを微妙な点まで悟る働き。感覚。また、それが具体的に表現されたもの。
2. 判断力。思慮。良識。

本来の英語の意味とも重なりますが、冒頭に書いた日常会話での一般的な使われ方から考えると多くの場合、「感覚」や「感性」そして「能力」を指すことが多いと感じます。ファッションや芸術的な領域、スポーツ、学問、料理、ビジネスなど、それぞれのジャンルにおいて(多くの場合、数値化できないものに対して)「センス」という言葉を用いて、主観的な印象を表現する言葉であると言えます。つまり、目に見えない「感覚」や「能力」を、良い悪いと各々主観的な基準で語るために用いられる、実に曖昧な言葉だということです。


「センスがない人」はいない?

ではそのセンス、「良い人」と「悪い人」の差はどこにあるのでしょうか。時として、「生まれつきの才能」かのように捉えられるこの言葉ですが、私自身は、センスを「生まれつきの才能」とは思っていません。さらには、「センスがない」なんていう人はそもそもいない、とも思っています。

それは一体どういうことか、これは、英語の意味から考えていくと分かりやすいのではないでしょうか。
先にも書いた通り、「sense」とは感覚や知覚、といった意味と、良識や判断、分別といった意味を持ちます。確かに、感覚というと一見、生まれながらに備わったもの、である印象を持ちますし、事実それがセンスの”一面”ではあります。ただし、その先天的な部分は言わば入り口、受信のアンテナ部分に過ぎず、それ自体は誰しもが何かしら持っているもの、だと思うので、「センスがない」人はいない、と。(仮に先天的な病気で五感に何らかの障害を持って生まれた人も、制限はある中にも何らかの感覚を備えている、と考えます。)

センスの「良い」「悪い」はどうか?

何かしらのセンス(感覚)自体は、誰にでも備わって「ある」と言いましたが、では「センスが良い人」と「センスが悪い人」と言われると、実感としてそれぞれ存在するように感じます、よね?
(先に説明したように、あくまで主観的な表現になるので、それが絶対的な事実であるどうかは別として、ですが。。)
私は、このセンスの「良し」「悪し」を分けるのは、むしろ後天的な部分だと考えます。つまり生まれ育ってきた環境や日々の習慣の中で、センスは磨き、育むことができる、ということです。

言い換えると、先天的に備わっている何らかの感覚を使い、センスを研ぎ澄ましていくことで、分別のある判断や良識、優れた審美眼を持つことができ、その領域での「センスがいい人」になることができるのです。
(但し、この判断基準自体が相手のの感じ方に委ねられる曖昧なものなので、それを考えるとなかなか複雑な話ではあります。。絶対的な良い・悪いではなく、「合う」とか「良い印象を与える」、という方が適切かもしれません)

ちなみに「センスが良い」という表現が単に「感覚が優れている」という意味だけではなく、「判断力が優れている」「物事の微妙な見極めができる」「感覚が優れている」「細部の違いを理解できる」といったニュアンスをもつという点から考えても、感覚的でありながらも十分に後天的に磨くことができる一つの能力なのだと言えるのです。

違いを生むもの、それは生き方

絶対的な基準はないにしても「センスの良さ」は後天的に身につけられるものであるのであれば、「センスの良い人」と「センスの悪い人」の違い、それは、これまでの生き方にある、と言えます。日々の生活の中でいかに自分自身を知り、それを磨いてきたか。どんな環境に身を置き、何を大切にして生きてきたか。それによって、知識や情報、経験の量の違いによって、自分自身に本来備わった感覚(センス)をどれだけ研ぎ澄まし、発揮することができているかどうか、ここの違いだと言えるでしょう。

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如何でしたでしょうか?
今回は、「センスの良い人」と「センスの悪い人」の違いについて、私なりの考察を書きました。次回は、「じゃあセンスを磨くためにどんなことができるのか?」「センスを磨くのに大事なことは何なのか?」といった、具体的な話を書きたいと思います。


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