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「好きなことだけしていたい」はまかり通るか


「好きなことで生きていく」


近年SNSなどを中心に、こういう見出しや文言をよく目にするようになりました。実際みなさんもよく聞く言葉なのではないでしょうか。

なんだか、いい響きですよね。

個人的に10年前くらいまでは、起業家やアーティスト、プロスポーツ選手といった専門性を極めた人たちを指すような言葉でしかなかったように思います。

しかし近年、Youtubeなどが隆盛を極め、専門性を極めたような人たちじゃなくても、こういった生き方を実現している人たちが増えてきたことで、


「あれ?もしかしたら自分もいけるんじゃないか?」


これまでは全く選択肢に入っていなかったものが、頑張って手を伸ばせば届くような、そんな身近な存在になってきたのも事実だと思います。


ただ一方で、ちょっとした懸念も感じるようになりました。

それが、この言葉が含む誤解の招きやすさに対してです。


どういうものかと言うと、この言葉が、

「嫌なことは一切やらずに生きていく」

というニュアンスを含んでいるのではないか、という点です。


「好きなことを"軸"にして生きていく」 ということには大いに賛成ですが、

「嫌なことは一切やらずに生きていく」 というのは反対です。

というより、それは恐らく無理なんじゃないかと思います。


この二つは混同されやすいですが、似て非なるものです。


人生において最も大事にしたいものを守るため、
自分の好きなことを軸にして生きていくためには、

それなりの犠牲を覚悟しなければならないのではないでしょうか。


例えばですが、
「医者になって大勢の人を救うことが自分の人生で最もやりたいことだ」
という人が、
「だけど、勉強は嫌だからやらない」というのはまかり通らないですよね。

医者になって苦しんでいる人を救うには、
遊びたいのを我慢してでも医学を勉強して医師免許を取らなければなりません。


また「高年収でいい暮らしをしたい」という人が、
「だけど、キャリアアップのための自己投資は面倒だし、休日は友人や恋人と遊んでいたい」という状態では、これもなかなか実現は困難ですよね。

より年収が高い仕事に就くためには、
ダラダラしたいのを我慢して、会社の同僚との飲み会を断って、
自分に鞭打ってスキルアップしていく必要があると思います。



あれも嫌だ、これも嫌だ、 けど好きなことで生きていたい。



これでは物事はうまくいかない。

大事にしたい生き方を実現するためには、
その道中に本来であれば、やらなくていいならやりたくないような、そんな「嫌なこと」も十中八九含まれることでしょう。


ただ、「だったら、いま直面している困難な状況も全部我慢しなくちゃいけないのか」というと、それはケースバイケースだと思います。


前提として、嫌なことでも我慢して取り組む価値は、
「実現したい生き方」があってのものです。


そもそもこれが定まっていない人は、

「自分は一体、何のために頑張っているのだろう?」

「なぜ自分は、こんなしんどい状況でも我慢しているのだろう?」

と、先の見えない苦しみと闘うことになります。



どうしても実現したい生き方があって、
それを実現するためには避けて通れない道があるとか、
今は辛くてもここで踏ん張ることで実現に近づくとか、

こういった形で、

「嫌なこと」というのが、
実現したい生き方を『目的』としたときの『手段』であるとき、

初めて我慢して取り組む必要が生じるのだと思います。


まだ確固たる「実現したい生き方」がない人は、まずはそれを見定めて、

その上で、

それを実現するためには時には嫌なこともやらなきゃいけない時があるんだ

と、覚悟して前を向きましょう。

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