本当の自分とかいうやつ

私は普段から、普段のままでいる。
私は何しても「えー、意外、真行司ってそんな奴なんや」とは言われない。
「だと思った」とか「だよね」としか言われない。
普段のままでいるし、普段の私を、まあ大体正しく受け取ってもらえている様だ。

いわゆる、「ありのままの自分」ってやつだ。

今の世論は「ありのままの自分で愛してもらおうとするのは甘え」である。
「今の自分を変えて、うまくやるためには上手に嘘もつけ」というわけだ。

もちろん、その変化を自分だと受け入れて、嘘を本当にすれば良いわけだ。
でも、ありのままのその人を愛せず、愛せるように変わってもらうという事は、つまりは「お前はキライだ」という事ではないのか?

「テセウスの船」という言葉がある。
全部の部品が置き換えられたとき、その船が同じものと言えるのかという事である。

ダイエットのためにジムに通って、痩せるどころか筋肉ムキムキになり、アニメ好きのオタクだったのに、趣味をアウトドアに変え、夏はサーフィン、冬はスノボをやるようになり、交友関係もウェーイな奴らの中に入り、仕事も変え、ファッション雑誌に目を通し、しつこくない程度に香水をつけ、顔を整形し、性格も積極的な自分に変える。

多分モテるだろうし、多少の調整は必要だろうが、意中の人も射止められるだろう。

でももう最早、それは私ではない。
世間一般で流れているモテそうな要素のかき集めであって、好かれているのはその要素であり、私ではない。つまりは極端な話、一卵性双生児なら、兄弟に替え玉になってもらって、OKをもらえばいいわけだ。

というか、似ている必要すらない。所詮自分は嫌われていて、モテそうな要素をみんなは選ぶだけなんだろうから。

付き合い始めれば、相手は「こんな人だとは思わなかった」と言うだろう。
だって、そんな人ではないのだから。
最悪、結婚した後にそうなる可能性もある。

もちろん、だからと言って「世間がおかしい、ありのままのその人を愛すべきだ」とは言わない。
そうじゃないと嫌なら、それは仕方がないと言える。
その「いい男」を24時間365日100年近くやってられる人を探したらいい。

もちろん、あなた自身もそれを求められる事になるのだけれども。
それが出来なきゃ、「何でこんな人と一緒になったんだろう?」「一緒にいたくない」「私ばっかり被害者」なんてな話になってくるだけの話である。

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