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「自分」はどこだ。

毎日のように探し続けている自分という存在の核。

いずれ、そのなにもかも分からないまま、「これでいいんだ」って鼻をつまみたくなるほどの臭気漂う欺瞞の言葉を口にしながら、死んでいく自分の姿が見える。

思えば小学生の頃から、自分の頼りない存在を自覚しながら生きてきた。時には威張りながら、虚勢を張りながら、生きてきた。

他人のことを心底から軽蔑しているくせに、他人からの評価を求め、四苦八苦する日々に、矛盾を抱えていた。

そんな自分は特別なんかじゃなく、ありふれた人間像の一つとして認められるだろう。いつか、いつかとつぶやきながら、何物にもなれず死んでいくだろう。

悲しいことばかりの人生なのに、どうして笑顔で生きていかなければならないのだろう。幸せを感じた後には、必ず不幸がやってくるのに、不幸は幸福を必要とすることなく常に日常に存在する。

栄華を極めたって、いずれかは醜悪な老人となり果てて朽ちていくのだ。そう考えると、身震いする。何もしないためのただの言い訳かもしれないが、まんざら全てが嘘というわけではあるまい。

こんな観念遊戯に意味などあるまい。書いても救われない。

それなのに私は、夜になるとやおらyoutubeを開いて、ゲラゲラと笑ってまた一日を終えようとするのである。

悲しきかな。

・・・

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