ほんの些細なひとつの台詞

いよいよ前を向けるようになった。キッカケの話をと思っているのですが…
さてさて何処からどう書いたものかと悩みまして、取り敢えず当時の状況から。
鬱になって9年目の頃から始めないといけないのですが。それまでの間、何もしていないわけでもなく、生活もあるので、少し良くなってきて働いては駄目になり、少し良くなってきて働いては駄目になりを繰り返し。
本当にダメ人間だと自分を責め。

親父の肺癌発覚したり(今は無駄に元気)

意を決して再度、花屋を開店してみたものの、7ヶ月後に世間を襲った
「新型コロナウイルスの蔓延」
人通りが無くなった街を見て、もう駄目だなと閉店。
ここでも自分がダメ人間だからこういう事が起きるんだと自分を責める。

更に長男が2年生のゴールデンウィーク明けから突然学校に行けなくなり。
親の背中を見てれば、こうなるのも仕方ない。と自分を責める。

追い討ちをかけるように長男の発達障害、ADHD、ASDが発覚。(詳しくはそのうちに。)
どうして何時もこうなる。それもこれも全部、自分の行いが悪いからだと自分を責める。

こんな事の繰り返しで、世の中の悪い事は全部俺が悪いんだと感じるようになり。
どん底の底無し沼。
落ちるだけ落ちれば、あとは登るしかないとは言うものの…もう本当にいつ底を叩けるのか。何処まで落ちれば自分は許されるのかと思っていました。
いま思えば、この時が底だったのかな?(であってくれ。これ以上は嫌だ。)

その時にたまたま子供の付き添いで行った本屋で出会ったのが「線は僕を描く」という小説。清原果耶さんと横浜流星さんの主演で映画化されてます。

これがまた不思議な話で、これは読まなきゃいけない。と思ったんです。
本を読んでも、活字がこぼれ落ちていくのに、この本は今、絶対に読まなきゃ駄目だと思ったんです。

水墨画を題材にした、何もかも失った大学生が主人公の話なのですが、その中に主人公が弟子入りしたお師匠さんの言葉で

というのがありました。
物語の中にある本当に些細な台詞なんですが…。
これを読んだ時に本当に暗闇の中で一条の光が指してきた様な底無し沼の中でほんの小さな足掛かりになる岩を見つけたような気持ちになりました。
自然?
自然で良いんだ…。
私の自然て?

決して自分は真面目ですと言いたいわけではなく、花屋時代の師匠にあたる方からは生真面目とか言われた事はありましたが、私自身は不真面目でふざけた奴だと思ってるんです。
そこではなく。
注目するのは。
「少なくとも自然じゃない。」
と言うところ。

ずーっと、暗中摸索で五里霧中だったで自己否定感だけが高くて、そんな私の自然体てどういうものだろうか?

子供の頃から誰に対しても色々な事を取り繕 ってきた私の自然体って?
自分事でわかってる事は、自分に興味が持てない事くらいじゃないだろうか…。

ここから、まずは自分の事を知らないと始まらない。
物事の捉え方
考え方
そういうものを知らないと何も出来ないし、始められない。
今できる方法で勉強しないと。

ネットの無料セミナー聴いたり。
家族に付き合ってもらって図書館でそれらしい本を借りたり。
こぼれ落ちてく活字を必死に拾いながら本を読んだり、ノートに取ったりしながら気がついたのが…。

・考え方と物事の捉え方にクセがあるという事
・怒鳴り声、叫び声がトラウマになってるという事

これに気付けただけでも有難かった。

小説の中のほんの些細なひとつの台詞で前を向くキッカケを頂けた。
何がキッカケになるか判らないというお話。

長文駄文失礼致しました。
有り難うございました。

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