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90分1本勝負エッセイ「社会性昆虫や細菌からみた世界から」

木を見て森を見ずという言葉がありますが、森を知るためにはもっと小さな虫や細菌、さらには見ている自分自身を見つめ直すことが必要だったりするのかもしれません。時には視点をずらして。

ということで本日は、

細菌や昆虫の視点から見た世界を垣間見ると、何かわかるのか?

と考えて見始めている今日この頃、手探りながらも手始めにアウトプットしてみる試みです。

ヒトと細菌

ヒトの細胞は10〜60兆といわれ、そこの正確な数字はハッキリとはしていないのですが、ヒトと共生している細菌は腸内だけで100兆というから、ヒトに住み着いている細菌はヒトの細胞より多いのは明らかです。

「植物や動物は、微生物の世界についた緑青である」          マーガレット・マクファール・ヌガイ(微生物学者)

こんな言葉を目にすると、

細菌がヒトに共生することで自らが生存する方法を手に入れることに成功したのだ

と細菌主体で考えることになります。

ヒトと穀物

ユヴァル・ノア・ハラリは、『サピエンス大全』において、

農業革命が共有された神話によって支えられた協力ネットワークである「想像上の秩序」という社会規範によって維持されていた

といっていますが、

穀物目線でみると

人間が穀物に支配され、穀物の繁栄を支えていた

といえなくもないことになります。

アリと菌

キノコを栽培するアリ「キノコアリ」はいわゆる「キノコ」とよばれる菌を栽培していますが、その菌自体はというとアリと共生しないと生存できません。

アリ研究者の著書によると、

アリと菌では、

どちらがより強く共生相手を選抜するかというと、菌類だと考えるのが妥当ではないだろうか? 『アリ語で寝言を言いました』村上貴弘

つまり「菌類がアリを選んでいる」といえるというのです。

コナトゥス

物理学者エルヴィン・シュレーディンガーは『生命とは何か』において、

生命とは、物質の秩序だった振る舞いであり、秩序から無秩序に至る傾向だけに頼るのではなく、一部は保たれている既存の秩序にも依存するように思われる

と示していますが、

細胞は無意識に長く存続することを目標にした「意図」を示しており、それはスピノザの『コナトゥス』に近いと

アントニオ・ダマシオは述べています。

ここでは『コナトゥス』はシュレーディンガーの言葉より

「無秩序に向かうものごとの自然な傾向に」抗う力

だとされています。

ホメオスタシスとミツバチ

上記の様に秩序を保つために生物が、体温や血糖値、血圧や水分などを安定に維持しようとする恒常性維持のことを『ホメオスタシス』といいます。

ホメオスタシスは、医学的には、ヒト1人つまり個体レベルで維持されることを指しますが、

社会性昆虫のミツバチは、コロニーの個体間における社会的相互作用に、ホメオスタシスのような秩序維持を導入しています。

例えばミツバチの巣内の温度調節では、温度が低いと働き蜂は筋肉を振動させて熱を発生させます。

逆に巣が暑くなると、働き蜂は水を集めて巣内に撒くことで温度を下げようとします。

この徹底した利他的行動により、コロニー全体が個体であるかのように維持することからミツバチは『超個体』ともいわれます。

人間がグループを形成し、さらに地球全体で協調するためには、ミツバチのように

低次の組織が全体の利害を考慮していないにもかかわらず、うまく機能している(中略)のは、遺伝子、細胞、ミツバチが通常の意味での心を持っていないからだ。 『社会はどう進化するのか』

と無意識的に機能させることが必要なのでしょうか。

最後に

ヒトが長寿を手にし、科学が思想あるいは宗教のようになっている側面も考えられる現代において、「健康」が一種の信仰ともいえるきらいがあるとすれば、いかに現状の危機を脱するかを第一義として考えるヒトが多いのは当然といえると思います。

個体レベルのヒトとしてでなく、人類が最大幸福を得るためには、アリやミツバチのような社会性昆虫の「超個体」的振る舞いから学べることもあるのではないか。

なんだかそのように考えたからなのか、無意識的になのか、最近は生態学の本を読んでいることが多いことに気づきました。

もう少しこの思考を深めてまとめていけたらと思います。


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