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なんで、こんなに「リョータ」に共感したんだろう 映画 THE FIRST SLAM DUNK の個人的感想


THE FIRST SLAM DUNK

※少しネタバレ的要素がありますので、ご注意ください。

最初は、Twitterでたくさんいい評判が流れてくるし、3dを使っていてそれがすごく迫力があっていいらしいとの事で、劇場に足を運んでみた。

「すずめの戸締り」は、本当に絵もきれいだしストーリー展開も素晴らしいし、感動したんだけど、
SLAM DUNK は、本当に魂を揺さぶられたというか、こんなにこの年でアニメにはまるものなのだろうか、と思ったほどだった。
たぶん、みんな主人公である「リョータ」に共感すると思うんだけど、
もう「リョータ」かっこいい じゃなく 「リョータ」って自分じゃね?くらいの勢いで物語に没入してしまった。

それって、なんでなんだろう と考えて、理由は人それぞれだと思うけど

自分の場合の共通点は
「亡くなった兄弟がいる」ということだ。

自分の場合は、兄ではないが
幼少のころに亡くした兄弟がいて

本当に兄弟をなくしたものじゃないとわからないリアルな感情が良く書かれていた。
そういう感情を井上雄彦はなんでこんなにリアルに描けるんだろう?
亡くした兄弟がいる、という設定はお涙頂戴でお気軽に付け加えられたものでは決してなく、身近にそういうモデルの方がいらしたんだろうか?と思うほど、よく描けていて、リアルだった。

うすうす、亡くなった兄弟のほうが親に愛されていた期待されていたと気づいていたり
本当はもしかしてこいつのほうがいなくなればよかったのに。と親に思われているのでは、と感じていたり
生きているときも、比べられるし、亡くなったら亡くなったでずーっとその幻想が固定されて呪縛になり続ける。
どこかで、相手が亡くなって、自分が生きていることがとても不思議で、一歩間違えばいつでも、自分が逆でおかしくなかったと考えるし、時々は別に生きているからいいとは決して思えないこともあるし、
兄弟をなくしたものは、そういうことをずーっと誰にも共有できずに(言うと結構空気が変わることがあるので)死ぬまで考え続ける。

自分が違和感を感じたのは
震災や事故などで生き残った人が、「自分は生かされた」という言葉を使う時があるということ。
自分は選ばれた人間だから、死んだ人間より上だ、命を与えられたみたいに語るのを聞いて、すごく違和感があったのだ。
自分は兄弟をなくしているから
「生かされた」とは思えないし、死んでいる人より生きている人間のほうが、優れている、幸せだ。とも決して思えない。
逆に何か課題や宿題があるから、生きているのだと思っているし
もちろんいつか自分も死ぬし、そのことを常に意識している。
ぼんやりいつも死と生の境界線上にいるような価値観で生きている。

この亡くした兄弟がいる、という設定は、
リョータの設定のほんの1面ではなく、重要な核の部分で、それはラストシーンにも表れている。

さて、ここまでは自分の超個人的な思い入れのある部分の感動だが、
3Dの技術はとても素晴らしく、特に試合のシーンは実写では絶対できないカメラワークの連続で、大迫力で、本当に映画館で観ることをおすすめする。
ピクサーやディズニーとは全く違う視点で3Dを導入して大成功しているし、映像としてもとても画期的だった。
色彩もきれいだし、背景や自然が細かいところまで描かれていてとても素晴らしい。
たくさんのスタッフたちの地道な試行錯誤と、努力の積み重ねを感じて感動する。
井上先生はもちろん、この映画にかかわったすべての人に感謝したい。

ありがとうございます。元気と勇気をもらいました。感動しました。

#THEFIRSTSLAMDUNK
#映画感想

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