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価値のある文章って何だろう。

こんばんは。

タイトルには、(僕にとって)価値のある文章って何だろう。という、前置きが入ります。
なので、誰かにとって役に立つとか、貴重な情報とか、タメになるとか、そういう話とは少し違います。
こういうことを書いたら、フォロワーが増えるよ!とかいう話も出てきません(あったら僕にもこっそり教えてください)。

僕は、本を読むことが好きで、自称活字依存症を名乗るくらいには文章や文字が好きです。

このnote以外にも、ツイッターや、インスタや、色々SNSはやっています。

最近、そういうSNSで、投稿を見ていて思うのです。

「役に立つ」「タメになる」「バズった」などなどの投稿はいっぱいみるけれど、どうにも「その人」が見えてこないなぁ…と。

これは、おそらく、僕の好みの問題だと思います。(あと負け惜しみ)

僕の好みは、エッセイというジャンルが好きで、その人の言葉で、その人のフィルター(目や心)を通した世界を知ることが好きで、面白いなと思うのです。

ですが、上に書いた「役に立つ」と言ったような投稿は、何というか…、明らかに他者に向けて作られた投稿で、その人の心の機微や、感動を書いた文章とは全く異なるのです。


僕は、多分、究極で言えば、その人の独り言をずっと聞いていたい、知りたい、のだと思います。

「この人はこういう風に世界を見て、そこで憤りを感じて、そこに悩みを抱えて、ここに楽しみを感じて、幸せを感じて、日常を過ごしているんだな。」
というような、「その人の見た世界」を知りたいのだと思います。

だけど、そういう投稿が、いわゆる「バズる」ことはなく、ほとんどが多くの人の目に触れることなく、見つけることは困難です。


僕は、誹謗中傷などの問題の根底がそこにある気がしているのです。

その投稿の先には、確かに「その人」がいて、その人も同じように日常を過ごし、「誰かの大切な人」であるということが見えない。
この情報過多の世界では、投稿も「情報」としか見られず、役に立つ情報(投稿)が重宝される。

でもそれって、少し寂しいなぁ、と思うのです。

フォロワーが○人、いいねが○件、数字はわかりやすいですが、おそらく僕にとって価値のある文章は、そういうものでないなと、違和感を感じていたのです。

比べなくていいじゃん。
マウントを取り合わなくていいじゃん。
ちゃんと、あなたの人生は、そんなことをしなくても素晴らしいよ。
だから、あなたの見ている世界を教えてよ。

と、思うんです。


僕の人生は、一人分の人生です。
だけど、あなたというフィルターを通した世界を垣間見ることができれば、僕の人生はきっと、二人分の人生になったり、三人分の人生になったり、するのかなと思うのです。

人生の経験値が増えれば、それだけ相手の立場に立って考えることができて、他者に優しくなれるのかなと思います。

そして、それは、僕の人生にとって価値のある文章なのかなと思うのです。


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