大叔母さんの死
今日手に入れたもの より転載
2011年2月2日
わたしには、大事な大叔母さんがいた。
https://note.com/pyonkichi0922/n/n32a0dd8c9c05
小さい頃からいつも無条件にかわいがってくれて、
洋服もいっぱい縫ってもらったし、買ってもらったし、
旅行にもつれていってもらって、美味しいものもいっぱい食べさせてもらった。
その大叔母さんが亡くなった。
87歳。
介護が必要になって、介護施設に入っていたのだけど、食事中にごはんをのどにつめたのだって。
わたしはアメリカにいて、
たまたまその一週間後学会で帰国予定にしていて、
でも、その日いそいでもお通夜もお葬式も間に合わなくて、
予定通り大叔母さんが亡くなって一週間後に帰国した。
大叔母さんには子どもがいなくて、ずっと特別にかわいがってもらっていて、最近は介護を引き受けていた、姪であるわたしの母が喪主となった。
わたしは帰国して、実家にかざってある大叔母の写真を拝んだ。
ほんとうにね、大叔母さんはわたしのことをずっとかわいがってくれた。
小さい頃の私の様子、いつもおなじ話をした。
きれいなカッコウをしてなさい、
おいしいものをたんとお食べ、
なんでもほしいものをいいなさい、
大叔母さんの顔が浮かんでくる。声が聞こえてくる。
大叔母さんからうけた愛情が、あふれてくる。
ひとに、こうやって無条件に愛情を注ぐ事。
亡くなるときに、こうやって思い出されるものなのか。
「わたしの人生はつくしてばっかりよ」
とよく言ってたね。
「でも楽しいからいいじゃない。お金なんて、生きている間にぱあっと使って、
何も残さないでばっと死んじゃうのよ」
とも言ってたね。
帰国したとき会えるのを楽しみにしていたのに。
もう、87歳なのに。
死んじゃっても仕方ない年なのに。
大叔母さんの死は私を泣かせます。
大叔母さんなくして、わたしの人生はなかったくらいお世話になりました。
もう、大叔母さんはいないのだ。
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