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母にしてくれてありがとう

子どもが生後半年を迎えた。
なんとか間に合わせたハーフバースデー用の衣装でお祝い。


手作り感が溢れている。

記念日ではあるが、夫は仕事で子どもも私もこれといった予定はなかったので、離乳食を食べお昼寝をし、目覚めたところで近所のスーパーへ食材の買い出しに出かけた。

買い出しから帰ってきて冷蔵庫に食材をしまいながら、ふと思い出したこと。
そういえば去年の今頃は妊娠中で生ものや非加熱のチーズは食べられなかったな…いや、そもそもつわりでろくな食事をできていなかったな。

妊娠初期は常に船酔いをした気分で飲食ができず、こみ上げてくるものもないのにずっと喉から何かが出てきそうな感覚があった。
嘔吐恐怖症だから吐くことができなかったけれど、そうでなければいわゆる吐きづわりだったのだろうと思う。

蒸気の匂いも気分が悪くなってしまうのでシャワーを浴びることもできなかったし、口の中が気持ち悪いのに歯ブラシが口に入る感覚が辛くて歯磨きをすると気持ち悪さが増してしまうという、何をするにも苦しい状態だった。

少し調子がいいと思って、外に出て何か食べ物を買おうとしてシャワーを浴びると、それでダウンするという日もたくさんあった。
家を出て1分もかからない自販機に水を買いに行くことすらままならず、夫に飲み物を買ってきてもらう毎日。

ただひたすら天井を見続けていた。
時間が過ぎるのがとても遅くて、SNSを開いては数分前から更新されていないタイムラインを確認して閉じるということばかりしていた気がする。
(おすすめで出てきた出産レポ漫画を読み漁り、出産時のアレコレに関する知識が増え、本番で役に立ったのでそれは感謝)

夫は当時仕事が忙しくて休みなんてほぼなかったし、一人で病院に行く気力も体力もなかったので行かなかったが、受診していたら点滴を打たれるくらいはしたのだと思う(もしかしたら入院だったかもしれない)。
記憶が定かではないが、ピーク時は10kg近く体重が落ちた。

つわりが重い日はいつ終わるのだろうという思いばかりで、辛さが永遠に続くようにも感じられた。
つわりが軽ければ軽いで、胎動も感じられる時期でもなければ検診は月1回ペースなので子の無事を知る術がなく、もしかしたら…という恐怖に襲われていた。

心身ともに不安定で、女ばかりこんな苦しい思いをしなければならないなんて不公平だ、なんて思った日もあったような気がする。
今思えば、病気でないから助けようもなく、代わることもできず、それなのに八つ当たりされていた夫が気の毒だし申し訳ないと思うのだけれど。
(夜中に突然カレー味のカップヌードルが食べたいと騒いでも、嫌な顔ひとつせず買ってきてくれたことに今でも感謝しています)

母は私が出産する前「つわりより陣痛のが楽だったよ」と言っていて嘘だろと思ったけれど、両方経験した今となっては本当にその通りだな、と。(個人の感想です)

去年の今頃は本当に辛くて仕方なかったのだけれど、もうそんなことは思い返すまですっかり忘れていた。
あんなに苦しくて、これは一生忘れないと思っていたのに、いやたしかに覚えてはいるのだけれど…もう、そんなのどうでもいいやと思えている。

子どもが毎日元気に育ってくれている、それだけで奇跡だし幸せなことだと思うから。
無事生まれてきてくれたことも、たくさんのリスクがある中でも毎日生きてくれていることも…すべてが尊い。

子どもが苦手だった私が子育てしているのも不思議だし、私もこんな気持ちを持つことができるんだ、とも感じる。

もちろん可愛いだけじゃなくて辛いなと思うこともたくさんあるけれど、笑顔や寝顔を見ていると愛おしく思う。

この子がいなければ分からなかった気持ちがたくさんある。
子どもが可愛いという気持ちもようやく実感できた。
誰かに対してこんなに生きてほしいと強く感じたことはなかったし、小さなことに一喜一憂したこともなかった。
育ててくれた両親には感謝していたが、こんな気持ちで私に接してくれていたのだと思うと、本当に偉大な存在だと感じるようになった。
そしてこの子が大きくなってある程度自立した生活をできるようになるまでは生きていたいなと思うようになった。

子どもの可愛さも、親のありがたみも、生きる意味も、この子のお陰で気づくことができた。

子どもが生まれてから、たしかに不自由なことは増えたし、思う通りにならないことだってたくさんある。
それでもこの子がいない人生は考えられないし、人生をやり直せるにしても、この子に出会う道を選ぶだろう。
この子に出会えなければ得られなかった、かけがえのないものがたくさんあるから。

楽じゃないし、歩いていてもう少し大きい子たちを見ながら「このくらいまで育ってくれたら〇〇できるな〜」と考えたりすることはあるけれど、あっという間にそんな時期はやってきて、慌ただしくしているうちに過ぎ去ってしまうのだろう。

今はこの子の見せる表情すべてを知っているし、体の隅々まで見ているけれど、いずれ親には見せない表情も出てくるし身の回りのことなんてさせてくれなくなるのだろう。

そんなことを思うと楽しみという感情と同時に寂しいという感情も顔を出す。
成長してほしいと願っているのに、このままでいたいという気持ちもあるなんてワガママだな、と思う。

半年なんてずっと先だと思っていた。迎えてみればあっという間だった。
きっとそんなことが続いていくのだろう。いや、続いていってほしい。一緒に生きてほしい。

この世界に生まれて半年、おめでとう。
そして毎日素敵な贈り物をしてくれてありがとう。
あなたの母にしてくれて、ありがとう。
これからも一緒に成長していこうね。


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子どもに教えられたこと

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