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「すずめの戸締り」から気付かされた自分を前に進めるのはいつだって自分自身だということ

新海誠監督の新作品「すずめの戸締り」をみた。

まずは綺麗な映像に惚れ惚れした。
3.11をテーマに描いているというのを聞いていたので、どんなものかなーと思っていたが、私は想像以上にヘビーな作品だという印象を受けた。

印象的だったシーン

①被災地を見て「ここってこんな綺麗なところだったんだな」という被災未経験者と、「ここが綺麗?」という疑問を持つ被災者の認識のズレ

震災後、数年経ち崩れたビルや家屋の瓦礫は撤去され、平地となり緑豊かになっている。それを見て、被災未経験者は自然豊かな良いところだと言う。
しかし、被災者は、その何気ない言葉に驚きを隠せない。
「これのどこが綺麗…?」
元々あった安らかな人々の暮らし、笑顔、その平穏な毎日がそこからはなくなり、ただの緑一面と化している。
緑豊かな大地と化した自然の裏で、大切な人や場所を失った人間の涙や血が流れている。
その認識のギャップの生々しさにハッとしながら映画をみた。

②昔声をかけてもらった生きていく希望の象徴が自分自身だったということ

幼少のヒロインに現在のヒロインが「今が辛くても悲しくてもあなたはちゃんと大きくなるし、大事な人もできる。好きな人もできる。」というような声かけをするシーンが心に刺さった。
生活していく中でたくさんの困難が待ち受けており、乗り越えていくのが生きるという営みだ。
大事な人が急に目の前からいなくなる。大事なものが、大事な場所が、急に手からこぼれ落ちていく。
泣いても悔やんでも戻らないものもある。過ぎた時間は一生返ってこない。
それでも人間は前を向く。それでも人間は絶望の中から希望を探す生き物だと思う。
いつだって、生きることを諦めそうな自分を奮い立たせるのは自分自身ではないか。絶望の中で自分のことを諦めたい、でも諦めたくない。逆説的な感情の中で自分をまた立ち上がらせる。どんだけどん底にいても人の心には希望の光がある。その光を掴むのはきっかけはどうであれ最終決めるのは自分自身。いつだって人は自分で自分を導いているのではないか。
そんな、人の持つ光を描いているような気がした。

地震を起こすミミズを収める扉を閉める際、そこで生活していた人々の声に耳を傾けることで扉を施錠することができるという「すずめの戸締り」だったが、私たちも当たり前の日常を当たり前だと思うのではなく、傾聴することで聞こえてくるものもあるのではないか。

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