卒論のはなし。
卒業の季節が来ているらしいので、卒論の話でもしてみようと思います。
卒論を書き始めた時、確か、あれは秋のことでした。
私の教授は「とにかく文字数を書け」としか言わなくて、そんなこと言われてもねえ…と思った私は、旅行に行きました。
もう今しか遊べないよな、とか、タイにいる友人に会いたいよな、とか色々考えていたら、タイまで行くのは香港経由が安いなとなって、香港通るなら友人(由来のはなしの彼女)に会わなきゃなとなって、結果、香港5日➡︎タイ2日みたいな旅行を決めたのでした。
教授にはあらかじめ「私は1週間来ないけど、卒論は書くから!」と伝えていったはずなのに、帰国してみたら、怒られました。「なんであなた、先週いない??」とまあまあ怒られました。よくない学生です。
でも、矛盾の多い人間なので、「書くからには何とかちゃんとしないとなあ」と思っていたのは事実です。
そんな時、別の教授の部屋で、相談がてら話をしていたら、「卒論を書くのだって、今しかできない青春なんじゃないの?終わったらどうせ遊び呆けるんだし。」と言われました。
単純なことに、まあそれもそうだなあ、という気持ちになり、私の卒論の日々が始まりました。
実は、その日より前も、卒論を書いても書かなくても、授業があってもなくても、毎日大学にいました。そのくらい大学が好きでした。
波はあったけれど、くる日もくる日も大学で卒論に関することをしていました。あーでもないこーでもないと、毎日書いたり消したりしました。
冬になりました。大学のイルミネーションが今年から豪華になると聞いて、点灯式にちゃんと参加しました。友人もたくさん来ていました。
カウンドダウンが始まり、正門からまっすぐに伸びる講義棟までの道が、ピンクに点灯しました。嘘だろ、と思い、皆で大爆笑しました。が、その後、ピンクはないだろ、と皆で怒りました。学生からは非難轟々だったはずですが、その後数年間飽きることなくピンクに光り続けています。
そして、卒論は締切に向けてラストスパート。友人と共同研究室を借りて、23時過ぎまで引きこもったこともありました。真っ暗な教室を横目に、真っ暗な図書館から出ると、ピンクの木々だけが光っていました。それを見て、「夜中は消えるんじゃなかったのー!」と、また笑いました。その時の友人とはもう会えなくなってしまったので、この思い出はずっと忘れないでいようと思っています。
さて、手直しと最終チェックで、提出するところまできました。ここで、クリスマスイブの締切より1週間も早く提出しろと言う教授vsもう少し手直しをしたい私の戦いが勃発しました。
1週間前に提出する理由がひとつも、本当にひとつもなかったので、納得いくまで確認してから提出するつもりで、ゼミに行きました。今日出してきてね、の教授に対して、「最終直したいところがあるから、今日完結させて、明日朝出してきます」というと、ものすごく怒られました。何がダメなのか全く本当に全くわからなくて、私も怒りました。
論文自体の内容についての指導に不満があったことと、謎のルールを押し付けられたことが重なって腹が立ち、大学のカフェで怒りながら泣きました。
その様子を友人は「めっちゃ怒ってるけど、これも思い出になるよ!はは!」と動画を回していました。
間違いなく、これは思い出です。
そんなこんなで私は卒論を提出したのでした。
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