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【ネタバレ有】映画ドラえもん のび太と空の理想郷を見てきて

《注》ネタバレ有です!!!!!

今年(2023年)のドラえもん映画,のび太と空の理想郷ユートピアを見てきたのでその感想を認めたいと思います.この感想はネタバレを含んでいるのでまだ見ていない方は全力でブラウザバックをしていただけますと幸いです.ネタバレを含んでいるとはいえ,ここの描写がというのは1回の視聴では厳しいものがあるので配信などに来た時に改めて考察とか感想を書こうかなと思います.

自分が見る前に感じたこと

とりあえず映画を見る前にそのままの気持ちを書いておこうとtwitterに簡単に記してました.これにある通り最初の特報は空での冒険ドラベンチャーが待ち受けている感じがしてすごい楽しみだったのです.

しかし,次の特報からは「なんでも叶う楽園は大空の中にあった」という言葉の詳細が語られることになり,ここから次の映画について怪しむようになります.

パーフェクトやパラダイス,ユートピア.この言葉を聞いて真っ先に思い浮かべたのはモジャ公の「天国よいとこ」に出てくるシャングリラ星.死に絶えたはずの星から「ここは天国だ」という報告しか入らないというようなところから始まるが,まあ血が噴き出る描写もあるモジャ公なのでまあなかなかに怖い話です.どんな話か気になる人は調べたらあらすじがネタバレ有りで出てくるので見てみてください.できれば読んでみてほしいです.他にユートピアといえば『UTOPIA 最後の世界大戦』がありますが,まああの話はできるわけがないと思うので過っただけでした.

ドラえもんなので何らかの敵が出てくると想定されるわけですが,そのユートピアの外から攻めて来てユートピアを守るのか,それともユートピアなんてものは端からまやかしでその内的要因をついていくのかという二択が予想されます.自分の好みは後者です.天国よいとこ,好きな話なので...….

これが旧ドラであれば,がっつり内的要因から攻めていく話はあったでしょうが,新ドラにそんな難しい話を描けるわけがないと思っているので前者の外的要因による話かなと考えていました.正直こんな話だとあまり面白そうではありません.最初の特報のワクワク感は完全に削がれてしまい,公開されたら見に行かなあかんよなくらいのちょっと義務的に見に行く気分になっていました.

だいたい視聴前はこんな気持ちでいました.ここからはネタバレ有りです.

見た感想

え,新ドラどしたん? めっちゃええやん.

一言で表すとこれでした.マイナス感情をひっくり返してくれるような作品でしたね.個人的には新ドラの中で1番良い作品です.なんなら旧ドラのF先生原作17作品にも食い込んでくるくらいに良いと思います.









描写の上手さ

一番最初に驚かされたのはいきなりタイムパトロールが出てきたことです.そしてタイムパトロールが囲んでいるのがパラダピア…….ここでパラダピアが悪であることが示されます.以降,パラダイス・ユートピアとしてパラダピアが描かれ,のび太たちは理想郷としてパラダピアが描かれる一方で視聴者は裏の部分があると勘繰るように見てしまいます.

パラダピアが悪であるというように思って映画を見ているとパラダピアの住人の表情が不気味であったり何か裏があるように見えてきます.見せているのは笑顔だけのはずなのに…….この不気味さは物語が進むにつれてのび太が違和感を抱くという演出でもって露出してきます.この状況はクレヨンしんちゃんのオトナ帝国に通じるホラー的演出のように思いますが,こういう「怖さ」を描くのは旧ドラにはよく見られたけど新ドラにはなかった要素なので,これを新ドラでやるのかと思っていました.

加えてこの不気味さが加速していく段階で見せかけの理想郷としてパラダピアを描いているときのBGMに変化を加えていませんでした.パラダピアは理想郷なんかじゃないというのがわかっているのに軽快なBGMを置くからこそ,初めには理想郷に見えていたパラダピアがより不気味に,本質がディストピアであるように見えていたように思います.風景の描写,BGM,表情,これらが上手く合わさって不気味さが演出されています.

ところで,見る前に感じたことで今回の敵がパラダピアの外部から来るのか内部から来るのかという話をして,新ドラなら外部でしょうと決めつけていたのですが,まさに内部から来ていました.ここは冒頭の部分で判明するわけですが,見た瞬間は「あ,やられた」という感じでしたね.CMでも楽園として描いていたパラダピアをいきなり悪として描いて,見ている人を惹き付ける.純粋に戦略が上手かったなと思いました.

ドラえもんを通じた学び

utopiaという単語はトマスモアの造語なのは有名ですが,これはギリシア語のou("not")+topos("place")から来ている単語で存在しえない場所という意味があります.もちろんそんなことは映画の中で言ってはいないのですが,ざっとユートピアの解説を見るとパラダピアはトマスモアのユートピアをそのままモデル化したものと想像がつきます.今現役で見ている子どもたちが後に世界史を学んで,トマスモアが出てきたときにこの映画が思い出されると「あ,そういうことだったのか!」という気付きがあって良いと思うのですがどうなんでしょうね.

ドラえもん,というかF作品は手塚治虫の影響を特に色濃く受けているので,子どもに学びを与えることを意識して描かれています.ドラえもんの映画でもそれは如実に表れていて,これは倫理観だけでなく歴史や伝承といった知識的なものも該当します.例えば雲の王国では天上世界の伝説を最初に紹介したり,創世日記でも歴史や伝承と絡めた話作りがされています.今回については「理想郷」を描いた作品や世界各地の理想郷の紹介がありました.一気に出てきたので覚えきれませんでしたが,アヴァロンとか桃源郷とかムー大陸とかって言ってましたっけ? だいぶと足早な感じはありましたが,それでも昔のドラえもんの雰囲気を少し感じました.ここで出木杉を使ってくるのも良かったですね.

それだけでなくこういったおとぎ話や伝承に対して作品内での回答を用意するのが上手いのもF作品の特徴といえるでしょう.海底鬼岩城でのポセイドンとアトランティスやバミューダトライアングルなんか良い例ではないでしょうか.今作ではパラダピアが時空移動をすることによってあらゆる時代のあらゆる場所に理想郷を出現させるため,各地に伝承が残ったのではないか,理想郷伝説は全てパラダピアが元となっているのではないかと説明しました.つまりはムー大陸も桃源郷も竜宮城も全てパラダピアだったというわけですが,この説明には感服しました.よくまあF先生っぽい設定を思いついたものだなと感じます.

「制約」について

映画ドラえもんではおなじみ道具の縛りや状況の縛り.四次元ポケットが燃やされてしまったり盗まれたり,使っても壊れてしまったり…….どんなひみつ道具も使えてしまうと一瞬で物事が解決してつまらないお話になるのでなんとか制約を加えます.ここの制約に関しては正直旧ドラよりも新ドラの方がよく考えている節があって,リメイク作品なんかでも矛盾しないように注意が払われている印象はあります.

今回は四次元くずかごならぬ四次元ゴミ袋に壊れたりもう使えない道具を入れるという話でした.四次元くずかごがあるのになんでゴミ袋を作ったのか,と今考えれば思うのですが見ていた時には「ゴミ袋か.まあプラだのなんだの話題やもんな」くらいにしか思っていませんでした.リサイクルとも言っていたのでただ単にごみを捨てるというわけではなくリサイクルに出して環境に配慮することが未来でも行われているという意味もありそうな気がしますね.

このゴミ袋を出して最初に道具整理の場面を見せることで,今回はこういった道具を使うことはできないと知らしめているわけですが,説明としてわからなくないなと感じました.ただ今回上手いと思ったのはこれ自体を伏線にしてしまうという手法でした.ドラえもん映画のほとんどは便利な道具は諸事情あって使えないから残った道具でピンチを乗り切るもので,今回もそのタイプではありました.しかし,タイムツェッペリンを使ったりおまけでもらった飛行服を使ったりちゃんと活躍の場を与えて場を乗り切っていました.しかし最終局面で四次元ゴミ袋に崩壊しかけているパラダピアまるごとを入れてしまうという荒業を行いました.「いつもの制約か」と思わせておいて,実は伏線で最後の最後に活躍の場を入れる.伏線の貼り方がすごい上手だったなと感じた場面の一つでした.

描写の仕方

今回の映画で一番印象に残ったものの一つです.パラダピアでのシーンで人物の描写で違和感を感じたのは「影」でした.やけに影をハッキリと描いているように思えました.これは一見すると笑顔で幸せそうにも見えるが実は裏には何か闇が垣間見えるようなことを終始思わせてくるものでした.おそらくこれは最初にパラダピアが今回の「悪」であると見せつけられたために,その先入観をもってもたらされた印象であると考えていますが,それにしても裏のありそうな,不気味そうな顔をしていたなと色々なシーンが思い起こされます.

ただ,先述したように表向きはほぼほぼ笑顔だったり幸せそうな顔だったりします.影の違和感も気にせずに見ていたら,そんなことに気付かなかったら純粋にパラダピアがユートピアであるように見えていたでしょう.加えてパラダピアが不気味な場所であるとのび太が確信するまでBGMは陽気さや軽快さを保っています.この絵と音楽とで二重に騙そうとしてくるのが今回の映画のすごいところであり,怖いところでもあります.この怖さを例えるとクレヨンしんちゃんの「オトナ帝国の逆襲」の怖さではないでしょうか.あちらもしんちゃんたち子どもではない大人たちが突然洗脳されて,いつも知ってる大人たちではなくなってしまうという身近な人たちが突然知らない人になったかのようにふるまわれます.

昔のドラえもんであれば,周囲が突然変化する恐怖は(藤子先生原作ではありませんが)パラレル西遊記などでも見られます.しかし新ドラになって良くも悪くも怖い描写が減らされてきたところでこのような怖さを描いてくれたのは,昔のドラえもんを髣髴とさせるもので非常に良かったと思います.

ドラえもんの道具

この映画は対立で描かれているのは明白ですが,特にドラえもんとソーニャの対立について注目したいと思います.ドラえもんは人間味のある「ダメな」猫型ロボット,ソーニャは言われたことを完璧にこなす「パーフェクトな」猫型ロボットというような対立です.これを補強するようにある対立としてどのような道具を使っているかとその使い方が挙げられます.ドラえもんは四次元ポケットを使ってあらゆる道具を使う一方でソーニャは三賢人から与えられたいろんな機能が搭載されたライト一本で十分としています.ここでドラえもんのダメさを演出するのにおなじみの「道具が整理できておらず求めている道具がすぐに出てこない」というのと「ライト一本で全て賄うので余計なものがなくすぐに道具が使える」という対比があります.

最初こそソーニャが人々の役に立ち,ドラえもんを圧倒するような描写が続いていきますが,映画の終盤になるとソーニャが「心」を取り戻してから自分の四次元ポケットを取りに行って,「これは僕のだ」と言います.このシーンで三賢人からの呪縛から完全に解放されたものと解釈しています.これらのシーンで象徴的に描かれている「四次元ポケット」は「自分で考えて行動すること」や「自由」の象徴になっていて,ソーニャが四次元ポケットからタケコプターを出したことはいつものドラえもんたちが何物にも束縛を受けずに自由に自ら動き出していること,ソーニャもそちらが良いと自分で決めたことを表現しているようにも感じれました.

ドラえもんでよく描かれていることですが,たとえどんな素晴らしい道具でも使い方を一歩間違えれば大惨事になるといったものがあります.日常ののび太も道具を変な使い方をして失敗してばかりですよね.どの道具を使うかという自由すらも奪ってしまうと味気なくなってしまいます.人の個性や心を奪うのも印象的ですが,よくよく見ると「なぜ四次元ポケットからいろんな道具が出てくるのか」そして「なぜそれがおもしろいのか」というドラえもんのおもしろさについての一つの答えを出しているようにも思います.

終わりに

結局ユートピアなんてものはない,いや今生きているこの世界が一番素晴らしいんだという最後のメッセージと束縛されて何も考えることなく敷かれたレールの上を進むのではなく,自分で考えて生きていこうというメッセージをを今回は感じ取りました.新ドラへと変わってもう20年も経とうかとしている頃,ようやく新ドラ映画の完成を見れたような気がしています.また今回はトマスモアのユートピアを題材にしているとのことなので,実際にトマスモアのユートピアをのんびり読み進めています.この映画がアマプラに来れば何度も見ることができるので特にこのシーンがとか,より詳しく掘り下げることができるでしょう.そのときにまたnoteで考察などしていきたいなと考えております.

18年くらい待ってようやく大当たりの映画を見れたので大変満足させていただきました.今回は触れませんでしたが,NiziUのparadiseも映画に沿った歌詞で良かったと思います.このあたりも後々しっかり考えていきたいですね.ここまで長い文章を読んでくださりありがとうございました.

― 了 ―

pyocopel

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