見出し画像

コロナの頃3:仕事

 最近買い物や気晴らしと健康の為に日光を浴びるタスク(つまり不要不急でない、と自己判断している外出)で駅前のマクドナルドを通りかかるとこの一か月位でかなりの確率で遭遇する中国籍と思しき女性がいる。一人の時と、二人の時、レアケースでそこに男性も加わって三名の時も。何をしているかと言えば最近よく見る”uber eats”をしているのである。
 2,3度見るくらいまではあれ?前に見たことある?位でいたのだけど、今ではもう毎日いるので完全にこれで喰っているんだなとほぼ確信している。uber eatsのしくみをちゃんと理解していないのだが、多分スマホ上で発生したマクドナルドの注文を早押しクイズのごとくさらっては配達してまた店の前に待機するというのを繰り返しているのだろう。たまにこの女性たち以外にも同業の人たち(おなじみのリュックや配達の人が良く借りて乗っているレンタサイクルで判別は容易)が並んでいることもあるので、さぞこの状況下で宅配事業は盛況なのは想像にたやすい。というか出前館も大忙しとニュースで報道されている位だ。

 ここでふと思うのは、僕がこの注目している女性である。元々この仕事をしていたのだろうか?と。僕はつるんでいる2人と合わせて想像するに、働いている飲食店(中華料理店というと短絡的すぎるかなと思い範囲拡大)が休業となって仕事がないので従業員の仲間同士でやっているのではないかな。かくいう僕もそうだけど、4月の仕事はほぼ全部吹っ飛んで、今はこの先の仕事の仕込みをしていることろである。世の中には休業している方にも色んな境遇があるし、休んでいるうちは特に動けることもない場合は、他の事で稼ぐ方が良い、という場合も沢山ある。僕も考えたもん、amazonの倉庫の仕事が近くにあったから、あの物流に興味もあるからバイトしてみようかなとか。結局、仕込むことに注力したほうが良いという判断に自分はしてけど。

 昨日も当たり前のようにいて、スマホをいじって待機していた。すごいな、たくましいなと思った。そう思った後、頭に「仕事」という言葉が浮かんだ。仕事はお金を稼ぐ為、お金は仕事をした対価、本来は貨幣が生まれる前は物々交換、必要なモノとモノ同士の交換、リクエストに対する労働や技術の提供に対してお礼としてのモノを提供。そうか、、、この娘達は、お金の為にこうして毎日ここにいるのではない。この状況下で家から出られない困っている人たちに食を届けているんだ。その対価としてお金を受け取っているんだ。なのでお金の問題ではなく利他の精神が原動力になっているのかも知れない。
 1日経ってそれを思い返したが「かも知れない」はそれ以上になることはなく、うん、たくましいね、と結論付けた。

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?