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魔界への入口?人類学のキーワード38選(後編)

院試筆記試験のために、人類学にまつわるキーワードを38にまとめました。試験の出題範囲は不明。わかっているのは約300字での論述という点のみ。いくつかの本を横断し、重要と思われたキーワードに絞り、要約しました。(多くは阪大人類学研究室の教科書リストです。記事末尾をご覧ください)

約300字で要約せねばなこと。出典が限定的なこと。勉強中の身なこと。などから、あくまで、人類学という魔力を持った世界への「入口」にいざなう情報としてとらえてもらえればありがたいです。それでは……..GOGOGO!

👺アイデンティティと共同体

23.人種と民族

人間の基本的分類法の自明性を問い、歴史性と政治性を考えること。人種(レイス)と民族(ネイション)は古来からの概念として存在したが、近代ヨーロッパにおいて、特殊な政治的意味合いを帯びるようになった。人種主義は白人を最も優越とした人種とし、その他を劣等とみなす観念で奴隷制度や植民地支配を正当化するイデオロギーとなった。民族主義は、国民国家の建設と植民地支配の解放に歴史上おおきな役割を果たしたが、同時に正当な国民 = 民族とみなされない人々への差別や排外主義を生んだ。文化人類学は、少数者の差別・抑圧・排除につながる、固定的で本質主義的な人種と民族の認識を、つねに批判し、脱構築することが重要である。

24.ナショナリズム

政治単位と文化単位が一致する政治理論のこと。ある地理的・政治的に定義された領土で、みな同じ文化を持つことで幸せになる考え方。18世紀末の西ヨーロッパ発、産業革命による工業社会の発展と共に広まった。忘却(つらい記憶以外)を共有し(ルナン)、想像の共同体としての国民(アンダーソン)を作り上げる運動として2世紀にわたり展開。宗教的共同体と王国というシステムの衰退で登場した新しい思想であり、資本主義経済の成立、印刷を通じた情報技術の発展が後押しした。ただし、文化統一による辺境文化の排除という側面もあるため(インドネシアは元来250以上の言語集団がある)、国家という政治思想が今後も望ましい形式かは分からない。

25.植民地主義

人類学の出発点は非西洋世界侵略の同伴者だった。「未開」社会を、機能主義などのパラダイムを用いて調査・研究してきた歴史がある。サイードは1978年「オリエンタリズム」で、小説・紀行文・研究書に見られる非西洋圏への植民地主義的イデオロギーを激しく告発した。近年では、独立後の旧植民地で、植民地時代の価値観が浸透しているポストコロニアリズム的状況も根深い問題だ(旧宗主国側も同様)。一方で、中間性などの概念を用い、もはや同一的で固定的なアイデンティティの存続は不可能であると述べたバーバや、中米の黒人文化は大西洋の両側にまたがる関係性から生まれた雑種性であり、故郷喪失という歴史的経験がもたらしたと語るギルロイ、移民や越境、イデオロギーや資本の流動、草の根グローバリゼーションなどのトランスナショナルな現象に着目したアパデュライなど、ポストコロニアル人類学とも言える発展を遂げつつある。

26.エスニシティ

エスニック集団が表出する心理的・行動的性格の総体。1980年代前後、旧植民地から旧宗主国へ流入する移民、難民、労働者の受け入れに対する政策が緊急課題として背景にあった。現代のセンサスでは、例えば、車の衝突事故を起こして逃亡した犯人像を聞き出す際、警察官が被害者に尋ねるWhich ethnicity?という表現にも現れている。センサスの場合、アメリカ国民を、白人、黒人、ヒスパニック、アジア人、太平洋諸島島人に分類している。nation、raceでは答えようがない。民族集団の研究において、客観的属性とともに主観的属性(私はエストニア系だ)は重要だ。

27.ジェンダーとセクシュアリティ

性別(sex)に基づく性自認と社会的役割がジェンダー(gender)で、性的指向をセクシュアリティ(sexuality)と呼ぶ。3つを巡るジェンダー視点の人類学は性と権力の現場を理解するための基礎となる。性差は生態的に普遍でなく、社会文化的な産物だ。あるニューギニア高地社会では体液を基準とし、年齢によって性差が変わる文化もある(メイグス)。であれば誰・何によって性差は作られたのか。それは権力であり、それがジェンダーの視点である。女性が権力側によりイメージ化され(聖母や魔女)、男はソト女はウチのような分業規範を当てはめられる劣位性を背景に、フェミニズムの動きが起こった。近年では男女だけでなく、多様なセクシュアリティを含んで性の在り方が再考されている。さらに人格や自我の根本から問い直す議論もある(ストラザーン)。

28.生物学的市民

生物学的ステータスにより政治的権利を持つ市民のこと。例えばチェルノブイリ原発事故での被爆認定者数が、ソ連時代で237人(低線量被爆は60万人)とされていたのに対し、独立後のウクライナ時代では、350万人を対象に手厚い保護を行う方針がとられた(ペトリーナ)。しかし、ケニアのHIV陽性者に対しては、NGOの積極的な支援があり、そのNGOには公的機関から優秀な人材が流れ、単発的なプロジェクトが乱立することで、継続的なケアがしづらくなる現状も生まれている(プリンス)。また、人々が国家との関係下ではなく、遺伝子を含めた生物学的ステータスに基づいて自らのアイデンティティを定義するようになっているという指摘もある(ローズ)。

性的指向や精神疾患など、心身の数値化・可視化がしやすくなったことを背景に、生物学的なアイデンティティを定義する潮流は興味深いです。

29.アイデンティティ・ポリティクス

自分が誰であるか(バウマン)を排他的に決定し、所属の差異を創出する現象(エリクセン)。他者否定。例えば1990年代以降にインドで起きた、ヒンドゥー教徒による反イスラーム暴動など。急速な経済発展に伴って生み出された社会の流動化・不安定化を背景として、マジョリティが罪のないマイノリティを暴力の標的にする。これに抵抗するために、マイノリティは、自分たちに有利に働く歴史を描き出す必要があるが、有効に働くとは限らない。人類学が行うべきことの1つは、ボトムアップの視点から、自己と他者の交渉の場を描きだしていくことである。

30.分人

分割しうる個人。ストラザーンは、社会関係からなる人格(person)を分人として概念化し、個人をindividualでなくdividualと考えた。個々人の体内に複数の人格を内包する、複数の人が一人に統合される、1は多で多は1、といったメラネシアの世界観から捉え直す。例えば、夫と妻は別個の身体で分割可能だが、外から見れば夫婦で同じ家に住むので分割できない。また、夫婦喧嘩をしている時は1人の中で心が分かれる、といった事象がある。二項対立ではなく、部分と全体はメログラフィー的に結合している。ストラザーンにとって、自然も文化も社会も相互に融合し、文化の概念は自然を包摂しているのである。

31.文化の概念

一意ではない。古い定義は「能力と習慣(タイラー)」。主流の定義としては「人々のあいだ(public)での意思疎通によって示されている共有された意味(ギアツ)」。文字としても意味としても(比喩・隠喩)、同じ言語を話し、世界観を分かち合っていることと言い換えられる。一言で言えば共通の価値観。これとは別に、芸術を指して「これまでに思考され、語られてきた最高のもの(アーノルド)」という定義もある。ニ方向の定義が、現代では混在し複雑化している。文化概念に関しては、①複数形による統合と分断、②移民文化のような線引の曖昧さ、③商業大衆文化と政治性、④わかったつもりの思考停止などの問題を孕む。曖昧に口にするより、特定の言葉を使うことが大事だ。

🌏多元世界

32.グローバリゼーション

地球規模の一体化現象(ロバートソン)。歴史的起点は1989年の冷戦体制崩壊。新たな権力掌握のために民族・宗教的アイデンティティが煽られたこと、旧社会主義や共産主義陣営も単一の資本主義経済に包摂されたこと、冷戦期の軍事通信技術が民生転用されインターネットが生まれたこと、の3つが背景にある。新自由主義が謳われ、権力・資本・情報のフローが生まれたが、結果、富と権力の集中による格差拡大をもたらした。人類学はそのフローの連接からシステムを見出す。「文化は〜、わたしが軋轢(friction)と呼んでいる相互作用の中で共同作業によって絶えず生産される」とツィンは述べる。グプタとファーガソンはフィールドを「転移する課題の在処」と捉え直す。費用対効果の名目で、貧困者への医療縮小を行う問題などを研究するファーマーのように、ポストグローバリゼーション期におけるグローバルイシューの人類学は重要性を増している。

33.開発

近代化とほぼ同義。意味範囲は広く、農業生産の増大と工業化、インフラや教育の整備を含む。1960年代以降、先進諸国が途上諸国に対し援助を開始。1980年代には世界銀行とIMFが「構造調整」で莫大な金額融資を行った。結果、経済格差や環境破壊などの問題も発生。持続可能な開発や参加型開発がスローガンとなり、NGOが開発の主体として登場する。基本的な問題は、誰のための開発かを巡る論争だ。実体として途上国支配のための言説ととらえる見方がある。エスコバルは、途上国が貧困や低識字率を認識する「開発の発明」、その異常を専門家が科学的に判断する「開発の専門化」、彼らが正当化した開発を専門組織が実践する「開発の組織化」を経ると主張した。2015年、国連加盟国は積み残された開発課題を17の持続可能な開発目標(SDGs)に分類。サブシステンス(自給自足的生業経済)と共にある開発が求められている。

34.存在論的転回

直示(deixis)。例えば、西欧におけるキリスト教と、ある先住民の社会における霊的な存在を、「宗教」と括る概念を無化しそのままに据え置く。そして、先住民の思考を、先住民自身の思考の世界の切り取り方に基づいて直示することを試みること。切り取るレンズ次第で、物理的には1つの対象が、存在として複数性(pluratiry)を帯びる。これを体現しているのが、カストロの多自然主義であり、アメリカ大陸先住民の世界におけるパースペクティヴィズムである。先住民にとっての泥沼は、バクにとっての儀礼の場だ。ホルブラードとピーダーセンは、再帰性(現地での可能性の諸条件に注意を向けることの諭示)、概念化(人々自身による現実の概念化を真剣に受け止める)、実験(調査者と対話者の変化自体が知識と洞察の源になる)という3点が、人類学的伝統を一歩進めているという点で、調査者が自身のレンズから読み解く認識論からの、存在論的転回であると主張した。もちろん認識論と存在論は不可分であり、攻守交替の歴史がある。

35.ポストプルーラル

具体的なものと抽象的なものを区分しない思考。ホルブラードとピーダーセンは「四つ足としての犬」を例示し、具体的な犬と抽象的な四つ足を両端に置いて図を構成しようと捉えた(スケール付きのモノ)。言葉通り、多元主義では目の前の現象を説明できない、という認識に基づく。モルは「多としての身体」の中で、オランダ社会を例にとり、いくつもの重なりあわない、異なるまとまりの状態を多元主義であるなら、いくつもの部分的に重なり合っている、異なるまとまりの状況(必ずしも複数とは言えない状況)をポストプルーラルと呼ぶ。一方がなければ他方の性質が変わる、2つ以上のものが別個に存在しているとは言えない状況、である。ストラザーンは、スケールが変わっても表現される図の複雑性が変わらないカオスの図を引き合いに出し同語を語っている。

36.アクターネットワーク理論

社会や自然のあらゆる存在を、絶えず変化する作用のネットワークの結節点として扱う方法論・理論的アプローチ。1980年代、カロン、ロー、ラトゥールの3者によりCSI周辺で誕生した。主要概念としては4つ。①アクター(actor): 存在するものはすべてアクター。人間と非人間は等価に扱わなければならない。「アクターとは、行為の源ではなく、無数の事物が群がってくる動的な標的である(ラトゥール)」②既約(irreduction):何ものも減じられたり、他の何かに置き換えられたりはできない。③翻訳(translation):関係構築は戦略的な側面を含む。その準備・適応・変化のプロセスを指す。カロンのホタテ貝養殖技術改善をめぐる話では、漁師は「漁獲高」を得るために、科学者は「知識」を得るために、ホタテ貝は「種の存続」を得るために関係を成す。④連関(association):社会は連関で成り立ち、その相互関係性は弱かったり強かったりする。その関係性を接続する制度や手続き、概念がどのようなものであるかを探る。ANTの例として、モルとローは、オランダとアフリカの貧血分布ついて、ヘモグロビン量がいかに測定されているかに注目し、測定するための「測定機器」や、それを扱う熟練した「人間」など、技術、文化、政治から構成されるネットワークによって、現象がようやく把握でき、貧血が存在することを表出させられると説いた。ANTは人類学の中で、変化し続ける人々の行為の説明に用いられたり、自然と文化の区分の自明性を揺るがすなどの影響を与え、2000年代以降には、組織論やアートなどさらに幅広い分野へ波及していった。

難解なANT。アクターが「星型」の紋様、と書いてあるのを見た(『社会的なものを組み直す』p.416)ときに、理解が一歩進んだ感覚がありました。

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37.実践

考察の対象とする社会や文化に向き合う際の学問的ふるまいのこと。マリノフスキー以降、主に、フィールドワーク、民族誌、構造機能主義的な分析及び記述の枠組み、文化相対主義のスタンスを組み合わせて、文化を浮かび上がらせることを指した。しかし、ブルデューは「実践感覚」で、その特権的ふるまいを批判。調査者自身の自己分析(再帰性のある反復運動)を通して、研究対象の人々の日常的実践を理解する重要性を説いた。ノランは「人類学者にとって現在の課題は、自分たちの経験を効果的に用いる方法を探し出すこと」と述べる。つまり、論述や批判だけでなく、オルタナティブな提案へ発展させることが重要である。

38.「表象の危機」その後

「文化を書く」が暴いた、民族誌が持つ非客観的な側面や政治経済的な暴力性。それ以降の人類学における表象(どう形にし、どう伝えるのか)の試行錯誤のこと。1つは多声性や協働を協調する方向性である。例えば、フォータンは、インドでの化学工場の爆発事故の損害賠償訴訟を追い、自らも被災者の支援運動に加わり、インドとアメリカを往復し、さまざまな記述のジャンルを横断し、模索している。またエスノグラフィの記述を超える動きとして、①現地の人々と制作もでき、新たな時空間を生み出す映像。②収集した情報を配置し、来場者が自ら知を創造できる展示。③声を発し、身体を通じて演じるパフォーマンス。の3つの方向性がある。


後編はこちらで終わりです。前編はこちら。

下記に10冊の書籍リストをまとめました。阪大人類学研究室の教科書リスト+αです。一部、言い回しでWebの情報を参考にしている箇所もあります。


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