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ヘラつき人生満開だわな


こんにちは。

大雨が降ったり、蒸し暑くなったり。
今年の夏はふしぎですね。
セミの合唱はいつ聴けるのでしょうか。
毎年うるさいなあって思っていたけど
無ければ無いで少しさみしい。
きっと気付いてないだけで、消えて初めて大切さを感じるもの、他にも日常に紛れているかもしれませんね。



はてさて、さてさて。

先日、配信をしている際に
「四面楚歌はどういうマインドで生きているの?」「他のヤク中と比べて精神が安定しているように見える」とのお言葉を頂きました。


改めて自分の精神と向き合う機会として
良いタイミングだな…と思ったので
思いついた具合にメモしていきます。
ぽちぽち…と考えながら打っちゃうので
箇条書きにしちゃえ。


1.頭の中で「やれやれ」と言う

自分より上の立場の人間たち。上司、お客さん、義実家…。何歳になってもそういった面倒な人々との関係は続きます。

時には
「何でそんなことを言うんだろう…」
「こいつは一体何を考えているんだ?」
「はいはいわたしが悪かったですよ」

と思ってしまうこともしばしばありますよね。
わたしはよくあります。

可能ならば、一言物申したい。
けれど社会的に考えてそれは難しい。

そんな時は頭の中で「やれやれ」と言っています。
なろう系主人公になっちゃって、それでついでにご機嫌もとっちゃいましょう。
優秀な自分の力に気が付くはずです。
腹の立つ相手も、結局は自分の手中だしな…と思うと大抵のことがどうでもいいです。

けれど、時たま自分のミスが露呈してしまい
罪悪感で一杯になることもあります。

これは明らかに自分が悪い…
そんな時には、こちらです。

2.切り替えは「まあいっか」

どんなにこれはまずい…と思っても、どうしようもないので「まあいっか」と言った方が楽だと気が付きました。
何も反省しないのでは学びがないので、きちんと物事を考えています。
けれど、1人くらいオーディエンスを作ってもいいでしょう。

「仕方ないって」って励ましてくれるイマジナリーフレンドが脳内にいると、かなり気持ちが穏やかになれます。

口に出して、即座に言ってしまうのが1番効果を感じられます。

やらかした〜と思ったら間髪入れずにまあいっか!!どうせ〇〇だし!と展開を続けましょう。

個人的にパンチラインだった最近のやらかしは
「うわっコーヒー全部こぼれた…まあいっか。どうせ豆の煮汁だし」でした。


3.何かを育てる


何度も死んでやる〜と未遂を繰り返していたわたしですが、ストッパーとなる生き物を育てるとかなり良かったです。

恋人、友人、家族…それらももちろん抑制因子になるのですが、極論彼らは自分が居なくても生きていけます。
そもそもな話、わたしにはそこまで親しい人間が周りにいないのであまり関係ありませんが…

そこで、ペットや植物を育てるのです。
もう無理、さよなら世界…と思っても
餌を待っているペットの顔が浮かびます。

自分が死んだら、発見されるまでご飯ももらえず、最悪道連れでしんでしまうかもしれません。
そう考えると自然と留まれるし、
養育費稼がなきゃ!とがんばれます。


4.洗い物中は音楽をかける

わたしは極度の面倒くさがりなので、台所は基本荒れています。
お風呂に入るのも、掃除機をかけるのも迫られるまでしません。
そこで、お気に入りの音楽をかけることにしました。

しかも、作業中以外は聴いたらダメってルールも課しています。
なので「この曲聴きたいな〜」と思ったら同時に脳内にするべき家事がピックアップされます。

お掃除=楽しい思いもできる
と無理やり条件付けしてなんとか生活を保っています。

育児にも使えそうですね。


5.Twitterで他人の粗探しをする

世の中には色んな人間がいますが、Twitterはそういった人を観察するのに最適な場所です。

引リツ数が多いツイートをチェックすると、ボロカスに叩かれていたり物申されています。

そのようなツイートを見ていると、こういう発言をしたらしばかれるんだな、とか
この人は間違いに気付けてないんだな、と色々と思うところが浮かんできます。
そうやって反面教師を見つけては
自分を改めるキッカケにしています。

でも1番注意しなければならないのは、自分は絶対に関わらないということです。
様々な界隈がありますが、時々その界隈なら許されるのに部外者が口を出して炎上…ということもあります。

最近見たのは、「パパ活をしていたら急に車に乗せられかけたので逃げました。怖くないですか?」に対して「そもそもパパ活をする方が悪いだろ」「車に乗るのが怖いような関係の人と予定立てるな」というコメントでした。

これはかなり擁護と非難の二極に分かれていて
パパ活をしている子達は「逃げて正解」といい、
そうでない人々は上記のように叩く…という展開でした。

このような愚痴ツイートは風俗・パパ活界隈ではよく見かけますが、部外者がRTしたことから広まったようです。

風俗嬢が「今日の客クソだった」と嬢同士で慰めあっていると、「金貰ってるのに文句言うな売春婦が!」とブチ切れおじさんが参戦してくることもよくあります。

そういった場面を見ていると、お呼びじゃないんだよな…と思うのでff以外のツイッタラーにコメントするのは控えましょう。



6.憧れの人物像をつくる

これはわたしが生まれてからずっとやっていることです。
友達でもいいし、アニメのキャラクターでもいいです。こんな人生が送れたらいいのになっていう人を探します。

そして、なにか判断をしなくてはならない時に「あの人ならこうするだろうな」と想像します。

自分の判断ではありますが、裏付けというか
なんだか背中を押されるような気持ちで
すんなりと受け入れることができます。

ちなみに最近のわたしの憧れは
かわいい女友達とかっこいいラッパーです。
相手が不快にならない程度に真似するの、
楽しいですよ。

でも意識しすぎるのにも注意が必要です。


7.自分に合った憧れに調整する

たとえば、
「夢を叶えるために貯金ゼロで上京しました!!」というとかっこいいですが
自分にそれができるか?というと変わってきます。
全てを投げ打って全力で立ち向かう様は素敵ですが、これは成功したから後付けでかっこいいのです。

このスタイルが合う人には合うと思うけれど、
やっぱりわたしは貯金がないと不安だし、ビジョンが見えていないと行動に起こしたくありません。リアルじゃない。

傍から見たら、仕事を辞めて無職でその日暮らしをしているわたしも破天荒かもしれませんがちゃんと考えています。
今手元にあるもので最大限に自由な選択をしているだけです。

憧れのあの人と同じ行動をすれば、自分もその人になれるという盲信は危険です。
無理をしない程度にマインドをなぞり、丁度いい度合いで取り入れる工夫が必要です。

あの子が好きなアイスだ、自分も食べてみよ。とか、あの人は30代になってから活動を始めて有名になったんだ、今から追いかけても間に合うかも。とか。

自分も同じ世界線にいると実感する喜びを感じましょう。


8.衝動買いをする

わたしの自宅には意味のわからないものがたくさんあります。
謎な中東アジアの楽器、一度も着ていないアンティークの着物、でかすぎるソファ、そこまでハマってないアニメキャラのフィギュア、有田焼の一輪挿し、虫の顔面だけが集められた図鑑…

部屋をざっと見回してこれだけの物が出てきました。押し入れの中はもっとやばい。

自分から見ても、他人から見ても
これはいらないだろ…ってものたちが散乱する我が家です。

でも、その時に欲しい!!と熱望した心を忘れたくないのです。
わたしは実用性だけで構成された空間を、部屋と呼びたくない。
使わないけど、そこにあるだけでいいって思っています。

時々使うこともあるんですけどね。

大学2年の夏、田舎に住んでいたわたしは高校の時代の音楽仲間と一緒に御茶ノ水観光に繰り出しました。
都会の光景はきらきらしていて、しかも打楽器を一緒にしていた友人と楽器だらけの街を歩く、それが最高に楽しかった。それで拍車がかかったのかもしれません。

なぜかわたしはコンガを購入してしまったのです。2個セットで総重量40kg。
狭い賃貸に住んでいたのですが、せっせと自宅に運び込むとなんともいえない充足感がわたしを満たしました。
その圧迫感ですら心地よい。

車も持っていないので、お披露目する回数は少ないだろうなあと思っていました。
しかしなんと、地元のマジシャンの耳に「コンガを持った学生がいる」と渡ったらしく、BGMの依頼が来たのです。

当時ジャズサークルに属していたので、あわててトランペット、ギター、ベース、キーボードのメンバーを集めて即席マジシャンBGMバンドを結成しました。

結婚式場や円卓パーティ、色んなところに出向いては学生にとって嬉しい報酬をもらいました。意外なところで真価を発揮した衝動買い…

その時に、あっこれだ!と思えるものに出会えたこと自体が奇跡なのです。通帳を少し気にしながら、ばんばん買っちゃいましょう。
買わなかった時の後悔の方が、対価として大きいです。


最後に

9.死んでも大丈夫

と思っています。
以前、「前世」について何度か取り上げていますが、やはりわたしは輪廻を信じているのです。

死ぬ時は突然なのか計画的なのか、急な病気や事故、殺されちゃったり自分を殺しちゃったり、色々な要因がありますがそれも仕組まれた事だと思います。

現在身近にいる人は、前世でも親しかった人で記憶が有る無いに関わらずまた出会ったのだと感じています。
でも生まれ変わるのにもたくさんの試練がきっとあって、時間もかかるのでしょう。
まだこの世に生を受けて居ない、大切な人がいるかもしれないのです。

もし、わたしが急に死んでしまうという状況に陥っても、多少の狼狽はあっても悲しくはなりません。
わたしが今死んで、また生まれ変わることで大切な人と出会える時代を調節しているのです。

家族、友人が亡くなっても同じです。
何百年後かはわからないけれど、大丈夫また会えるよ。と言って煙を見上げます。
そう思わないとやっていけないでしょう。

そういった点で、宗教や信条は大事なのです。
日本では宗教というと負のイメージが強いですが、全てが悪というわけではありません。
誰かに迷惑をかけているからニュースに取り上げられただけで、静かに心の拠り所としている人たちもたくさんいるはずです。

わたしはどこの団体にも所属していませんが、わたしの精神の根底にあるのはチベット仏教かもしれません。信者が周りにいるわけでもなく、自身が信仰しているわけでもありませんが少し参考にさせてもらっている、といった具合です。

結局生きるのも死ぬのも、生活を豊かにするのも貧相にするのも自分なので、信仰の対象はいつだって自分です。
信仰に値しない自分になりたくないので、より良く在りたいと思うだけです。
誰が見ても憧れる、という存在は自分には合いません。弱音も吐くし陰鬱にもなるけれど、それも人間味の1つでしょう。神ではないので。

だから何かに特化した人のことを憧れるし、それに近付きたい、参考にする、でも自分は自分。この考えで20と数年生きてきました。

なのでつらつらと長文を書きましたが、こういう人間なんだな〜程度に感じてもらえると幸いです。

今回の文章は、
三島由紀夫の不道徳教育講座に
若干影響を受けているかもしれません。

気付きの多い良書なので、おすすめしておきます。

ここまで読んでくれてありがと〜!!

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