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春がくる

もうすぐ4月、春がやってくる。

関東に引っ越して2年が経った。
仕事をやめて1年が経った。

時の流れに伴って、色んな考え方が生まれてきたのでメモに残しておきます。
1年後の自分がこのノートを見た時に、また新しい感情が誕生するかもしれないので。

逃げるように会社を休み、胃に薬を落としながらベッドで横たわっていた頃。

せっかく入社したのに、職場のみんなにも優しくしてもらってたのに、ようやくまともになれたと思ったのに。
これからどうやって生きていこうかな、自分はなんて恩知らずな大人なんだろう。
そんなことを考えながら毎日天井を見ては太陽が沈むのを感じていた。

部屋が暗くなったら夜、明るくなったら朝。
それだけのことが一日を埋めていた。
日にちの感覚もなければ曜日もわからない。
ゴミの捨て方だって忘れてしまった。

寒くなったら冬、あたたかくなってきたら春なんでしょう。そうやってぼんやりと、これからも生きていくのだと実感しては手で顔を覆った。

数年前まではできたこと、先週まではできたこと、ついさっきまでできていたことがどんどんとできなくなっていく。
何年もかけて積み上げてきた何かが、ジェンガのように少しずつ形を変えて不安定になっていく。いつか完全に崩れてしまう瞬間がやってくる。それが明日なのか、数分後なのか。

怯えて暮らすことに耐えきれなくなったわたしは、配信アプリで出会った友人の伝手で精神病棟に自ら赴いた。

閉鎖空間での生活は、想像を絶する苦痛を心身に与えた。
毎晩悪夢にうなされ、スマホを取り上げられているので窓の外を見るだけの時間が流れる。タバコを吸いたくても外に出ることさえ許されない。同じ病棟の患者の奇行にも悩まされる。
感傷的な気持ちになっているので、本当に些細なことで涙が出てしまう。
良い天気の日に公園で遊んでいる子供たち、それを眺めている老人。その様子を見ただけで「羨ましいな…」と泣く。
夜ごはんの煮物の味がやさしい。小学生の頃、友達と遊んで帰ってくると自宅の前までお出汁の香りがして、玄関を開けるとママが台所に立っている。そんな情景を思い出してはまた泣く。

一日中めそめそとしていたので、いつの間にか目が一重になっていた。手鏡は危険物として没収されていたが、夜になり窓に反射した自分の顔が映ったのでギョッとした。
わたしってこんな顔だったっけ、目が腫れて、顔が真っ白で、頬に青い血管が浮き出ている。
戻って来れないところまで来てしまったな、と窓を撫でながら泣いた。

自分で入院を選んだわりにはあっさりと退院を要求し始めた。ここにいると気が狂う、外の世界の方がマシ!とごねては食事に手をつけず、看護師さんに話しかけられても「帰りたい」の一点張り。モンスター級の迷惑患者となったわたしは断食3日目にして開放された。

重い荷物をもって外に出ると、風が体を通り抜けていった。空気の匂いがわかる、爽やかな風が五臓六腑に入り込んでは流れ出ていく。
いつも窓から眺めていた公園が、今目の前にある。よろよろとベンチへ向かい、震える手でスマホの電源をつけた。溜まっているたくさんのメッセージ、ブランコで遊ぶ子供たちを見ながら声を上げて泣いた。

そこからのわたしは絶好調だった。
1度地獄を見てしまえば、もう何も怖くない。
社会への申し訳なさは跡形もなく消え、弱者として生きていく覚悟が生まれたのであった。

今まで自分は、自分に対して期待しすぎていたのだ。別に真っ当な会社で働かなくても、最適な年齢で結婚して子供を産まなくても、みすぼらしい格好をしていても、それが自分なのだから仕方がない。
逆に言えば、社会的に地位の低い人たちをどれほど下に見ていたのかがわかった。
プライドなんていらない、色んな人たちが生きているのだから少しくらい自由に生活してもいいじゃないか。
精神病棟が桃源郷にも思えた。限界だったわたしへの救済措置だったのだろう。

そう思ってしばらく生きてきた。
普通だったら躊躇するようなこともたくさんしてきたし、過去の自分ならありえない選択もした。ところが今日だ。

ついさっき、部屋の片付けをしていた。
増えすぎた服や書類等を断捨離しようと押し入れを漁っていると、学生時代に使っていたリュックサックが出てきた。
持ってみるとずっしりと重い。
中身がそのまま入っているんだろうな〜と開けてみると、当時のスケジュール帳がでてきた。

なつかしい、そう思いめくってみると鮮やかなページが目に飛び込んできた。黄色の星マークはバイトの日、ピンクの丸は友達とおでかけ、赤のペンで大きく書かれた学会の予定。
この日は川に行ったんだ、次の日は山で虫取り、その次の日は友人とタコパ、それから…

挟まっていたメモをみると、その日の研究の結果や課題が書かれていた。読みたい論文のタイトル、教授の電話番号、提出資料の締切日…

ああ、この時の自分はがんばってる、まだ何も諦めてなかったんだ。気付いた途端に心臓がきゅうっと痛くなった。

わたしは底辺で生きる覚悟ができたんじゃない、ただ全てを放棄して、なるべく傷つかないように忘れたフリをしていただけだった。
誰かに「なんかもったいないね」って言われる度に、じんわりと感じていた寂寥感に納得がいった。もっと価値のある人間になりたかった。1度外れたレールの軌道を修正するのは難しい。現実がどっと押し寄せてきて、今まさにしくしくと泣いているのだ。

それでも、去年と大きく変わったことはある。
あたたかくなったら春、そんな漠然とした季節感を当時は想像していたが今は違う。
青臭い匂いが広がって、寒そうな木々がうっすらと緑を纏い始めて、鼻にツンとくる冷たい風がどこかにいって、朝が早くなって、街行く人のコートが軽くなる。これが春になるということだ。それを今しっかり感じている。

よかった、まだ戻れるかもしれない。
戻るというのは違うか、もうあの頃の自分には到底追いつけないのはわかっている。
ので、過去にきらきらした自分がいたことを忘れずに新しい道を探す時が来たのだろう。

春に向けて心機一転、とても清々しい気持ちになっている。
が、断捨離中にこのノートを書き始めたので地獄のような空間が部屋に広がっている……。

捨てたくても全部思い出がある、ちゃんと覚えているその時の感覚が懐かしくて嬉しい。
どうせ捨てられないので、今からまた押し入れにしまう作業をはじめます。徒労とはまさにこのこと。

がんばります。

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