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私と双極性障害①

はじめましての記事を書いて
すぐに書き始める…やはりちょっと軽躁かもしれません。

こんにちは。双極主婦のまっちです。

今回は私が双極性障害と診断されるまでのことを書こうと思います。
長くなるので前後編で書きます。
まずは適応障害がわかるまで。
読んでいて辛くなるかもしれません。元気のない方は要注意です。

病気発覚前の状況

新卒の頃、私は派遣エンジニアとして、とある会社で働いていました。
最初に配属された部署は、なぜか他部署から嫌われており
冷たい態度を取られることが多かったです。
そんな中OJTの先輩が早々にいなくなり(別会社に異動)、
1年かけて教えてもらえると思っていた私の社会人計画は脆く崩れました。
新卒1年目からほぼ主担当。
仕事のやり方が分かっていなかった私は、上長に説教される頻度が増えました。
他の先輩に聞こうにも、みんな忙しさから殺気を放っているよう感じ、とてもじゃないけど聞けない。(今思えば、勇気を出して聞くべきでした)
元々の性格もなかなか人に聞けないタイプで、それも後々苦労した要因の一つです。
そんな状況の中、途中で後輩ができたりしましたが、気付けば丸3年…4年目の春を迎えました。

その頃の私のストレス発散方法

社会人4年目のストレス発散方法は、以下の3つでした。
 好きなものを好きな時間に食べる
 土曜日はたらふくお酒を飲む(後半の記憶はない)
 買い物をしまくる

好きなもの好きな時間に食べる

その頃にもなると近所のスーパーが開いている時間に帰宅できなかったので
もっぱらコンビニにお世話になっていました。
複数あったコンビニの、新作弁当は全部制覇する勢い。
もちろん夕ご飯も早くて22時、遅いと0時に食べる始末。
間食でひたすらチョコを食べ、カフェラテを飲みまくる生活でした。

土曜日はお酒の日

派遣で仕事をしていたため、土曜日は派遣元の勉強会やらで予定が埋まっていました。
楽しみは全てが終わった後の飲み会。
そんなに飲めないのに、ジンジャーハイボールばかり飲んでいました。
しかも朝まで。もちろん途中から記憶がなくなることも多々。
アルコールを入れた時のふわふわ感や、
普段一緒に仕事をしない先輩・同期・後輩の話を聞くのは楽しかったのです。
日曜日は反動で丸一日寝ていることが多くなりました。

買い物をしまくる

上記の生活を繰り返していれば、当たり前ですが太ります。
太ると服が入らなくなります。
またお金を使うことで、来月も働かなくてはいけなくなる状況を作り
自分を鼓舞していました。
そんな負のループが重なり、全く貯金は出来ていませんでした。

ある日から感じた異変

社会人4年目は、それまでより仕事に追われて身動きが取れなくなっていきました。
「みんなこれくらい忙しいんだ。」
「とりあえず前の仕事を片付けるんだ。」
そんなふうに自分を励ましていました。
しかしある日を境に異変を感じました。
気付けば本当に好きだった趣味を何一つやれていませんでした。
帰り道に訳もなく涙が溢れました。
何度もトラックに突っ込んで死のうと思いました。
そして12月のある日、朝目が覚めても動けなくなりました。

最初の診断名は「適応障害」

身近に鬱になった先輩もいたこともあり、すぐに病院へ行くことに。
そこでついた診断名は「適応障害」でした。
派遣先を辞め、ひと月ほど休みました。
最初は残してしまった仕事を引き継いだ先輩や後輩に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
そのうち働かなくてはという思考に支配され翌月の1月から自社へ出社することになりました。
今思えば、躁状態だったのかもしれません。


今回はこの辺りでやめておきます。
過去の全てを書いた訳じゃないけど、
振り返るのは当時の気持ちを思い出して辛いですね。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

まっち
l Photo by まっち Canon EOS kiss X7

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