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『カラオケ行こ!』の映画、全員見ろ

カラオケ行こ!を見た。いや、全人類に見て欲しいんだけど、そんなことは置いておいて上演後間もない今、衝動に駆られてnoteを開いた。
元々『カラオケ行こ!』の原作者である和山については『ライチ☆光クラブ』などの同人活動より知っていた。今回映画化に至った『カラオケ行こ!』はヤクザの成田狂児と変声期を迎える合唱部部長、中学三年生の岡聡実の物語である。

●鮭の皮、カラオケ練習、愛さまざま

『カラオケ行こ!』は単行本であり、原作をそのままやると約2時間の映画には少々物足りないだろうというのがこの映画を見るまでの思いであった。それは読者でかつ視聴者である私と制作陣両方の思いであったのかは分からないが、本筋の本編の内容の隙間を埋める形で、聡実の日常などが非常に上手く、自然に紡がれていた。脚本が野木亜紀子ということもあり、凄く巧みであった。その例として1つ紹介したい。
聡実の所属する合唱部は夏の大会で銅賞であった。敗因はなにかと聞かれた産休代行の先生が「愛が足りなかったのかな」と部員たちに伝える。またお花畑だよ、とその場では嘲笑されるが、聡実の頭にその言葉は駆け巡る。
また、ある日。聡実が幽霊部員をしている映画を見る部にて、愛に関する映画を見ている時、聡実は部員に愛とは何かと問う。問われた彼は「愛とは与えるものらしい」と伝えるのであった。それを踏まえての食卓の描写が完璧であった。私は元来より食事シーンが大好きなのだが、聡実の家の関係がよく現れていたように思う。具体的に言うと、聡実の母が焼き鮭の皮を父親のご飯茶碗に乗せるというシーンだ。食べないのであれば、避ければいい。鮭の皮なんか
しかも食卓であれば特にそれを咎めるものは誰もいない。しかしそれを旦那の茶碗に乗せたのである。これを愛と言わずなんと言おうか。
また、このシーンは聡実と狂児の関係にも繋がる。
聡実は変声期を迎え、自身が担当するソプラノパートに対して不安感を抱いていた。当然部活にはあまり行きたくない。映画オリジナルに少し脚色された後輩もまたいい味を出しており、聡実は部活に行きたくないんだろうなという感じはひしひしと伝わってきた。言わば聡実には放課後の時間が不要であったのだ。そんな中狂児に「カラオケ行こ」と歌唱指導を願われる。つまり放課後の時間は鮭の皮のように、歌唱指導として狂児に与えられているのである。
この歌には愛が大切であるということは、スナックにて聡実が狂児の十八番XJAPANの「紅」を歌い上げる場面への伏線であることは言うまでもない。聡実役の齋藤くんが変声期であったため、よりリアルで切ない「紅」であったように思う。過去には戻れないのである。狂児と聡実も、出会わなかった過去には戻れないのである。
映画を見る部のビデオデッキが巻き戻せなかったように、もう聡実はソプラノパートは歌えない。狂児も「聡実」と彫られた腕は元に戻せない。
和山は古屋兎丸のファンである。彼の書く青春群像劇には儚さがつきものである。この『カラオケ行こ!』という作品も、それに近い何かを感じざるを得ない。
ともかく、和山の書く言語化しがたい愛情を肴に食べる肉は美味しい。
そろそろ食事中に行儀が悪いとヤクザに怒られかねないので、このnoteは締めようと思う。

ああ、『ファミレス行こ。』も是非、映画化して欲しいものである。

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