見出し画像

「ディコンプレッション(息抜きとなる)散歩」

Dog minded Jenny Efimova KPA CTP 

(ご本人の許可を得て翻訳させていただいています)


以下本文

私が初めて「ディコンプレッションウォーク」という用語を知ったのは Sarah Stremming の Cog-Dog Radio のポッドキャストからでした。
説明を聞いて、とても興奮しながら、そう、そう、そうなんだよ!と何度も頷いたことを覚えています。


その瞬間まで、私は自分が愛犬といままで何をしてきたのかとか、私たちの人生をガラっと変えたそのことに名前があるなんて、ぜんぜん考えたこともありませんでした。でも、なんと名前があったのです。こんなに何かが通じたような気持になるのは初めてでした。
ラーキン(愛犬の名前)が6か月になったとき、家から出るのを嫌がるようになりました。混雑した都会の環境に適応するのに、彼は苦戦しているようでした。ストレスが重なって、いっぱいいっぱいになってしまったのです。

私たちの体験については、ここ(原文中のリンク参照)でもっと詳しく書いています。なのでいまは、犬を排泄のために外に出すことすらままならないということが、どれほど辛く悲しいことだったか…とだけ言っておきます。

なんとかストレスを解消してあげようと、私は(家の周りではなく)別の場所に散歩に連れ出すことを試してみることにしました。友達が、近くのハイキングコースをいくつか紹介してくれたので、それからはできる限り頻繁にたくさんハイキングに連れて行くようになりました。

はじめは、近所を歩くときの大変さから、少しの間解放されることにただ感謝しました。なんにもしないで、自然のなかでリラックスして一緒にいるそれだけのことが、とても心地よく感じました。

ところが、数日そして数週間が経つうちに、まったく違う犬になったかのような変化が彼に現れてくるのを、まのあたりにすることになりました。ちょっとした物音にすぐビクビクして、固まって、行き詰まり、がむしゃらに家に帰ろうとリードを引っ張っていた犬が、森の中では気楽で、自信があり、緩んで、リラックスしていて、幸せそうでした。自信が育つに従って他のエリア、自宅の近所でも次第に快活になってゆきました。

いい日々が悪い日々を上回るようになりました。散歩の効果は、短期間で劇的な効果は現れません。4年経ったいまでも、ディコンプレッションウォークは私たちの毎日のなかで最も大切なアクティビティーです。

Sarah Stremming は ディコンプレッションウォークを「自然の中で、犬が自由に動くことのできる散歩」だと定義しています。「ノーリード、または(背中にリードをつけるタイプの)ハーネスとロングリードで行うことができます。とてもシンプルに聞こえるでしょう。でも、この散歩が、体、心(感情)、そして行動にもたらす恩恵は計り知れません」

犬は自然な狩人でありスカベンジャーです。彼らの本能には、嗅ぐこと、追いかけること、走ること、穴を掘ること、遊ぶこと、死体やクサイものに体をこすりつけることなどがあります。ほんのいくつかの例を挙げただけですけれどね。彼らは世界を鼻を通じて見ています、彼らの自然な(歩く)ペースは人間よりもずっと速いのです。大袈裟でなく、都会でモダンな暮らしをすることは、犬にとてとても大変なことです。

交通量の多い近所の道を、短い(6feet=1.8mくらいの)リードで、時には匂いを嗅ぐことさえできずに歩くことは、良いエンリッチメントの提供にはなりません。ある種の犬にとって、このような散歩はネガティブでストレスが多く、むしろ負担になります。

同様に、「疲れた犬は良い犬」という、よく言われているフレーズにはちょっと語弊があります。すべての運動が、穏やかさにつながるとは限りません。長時間のボール投げやフリスビーキャッチ、ドックランや犬の幼稚園でいつまでもいつまでも遊び続けることは、実はストレスや覚醒状態を作り出します。

ディコンプレッションウォークは犬が犬であることを許し、圧力を開放して落ち着いた自然な行動を引き出します。自然に動ける自由は、選んだり探検したりすることを許します。匂いを嗅ぎ探索する自由は、身体的そして精神的に(良い)刺激になります。

いつもの散歩で、恐怖や、不安や、リアクティビティ(過剰な反応)を経験する犬は、ディコンプレッション(圧力を開放する)の時間は生命の維持に必要なストレスの開放の時間であり、行動の健康(健全さ)を向上するための重要な方法です。

ディコンプレッションウォークは、すべての犬にとって同じでなくてもかまいません。オフリーシュにすることができなければ、ロングリードを試してください。犬によっては、ロングリードを張り詰めずに使うということをまず学ばなければならないかもしれません。これは、犬とエンゲージメントをとりながら(※ 犬が人の存在を認識した状態で歩きながら) チェックインしながら(※時々人間がどこにいるのか犬が確かめながら)歩くことを、いろいろな場所で練習する格好の機会です。

もしもハイキングコースやビーチに行くことが難しければ、草むらを試してください。野球場やサッカーコート、お墓や、ゴルフコース、裏庭ですら、ディコンプレッションウォークに利用することができます。

※これは海外のトレーナーの文章を許可を得て翻訳しているものです。日本では日本の条例やルールに則り散歩してくださいね!

もしもあなたの愛犬が、人々が慌ただしい時間帯だとうまくあるけないなら、早朝や夜遅くを目指してください。

過多にはまった杓子定規な考え方、”散歩は近所で”に囚われた考え方を人間がやめるだけで良かったりします。びっくりするような発見がきっとありますよ。ディコンプレッションウォークは私たちの人生を変えました。もしかしたら、あなたの人生も変わるかもしれません。



———-

これに付随したIGのpostの翻訳も載せておきます

@dogminded

・・・
I have to be honest, some days are harder than others. Sometimes seeing what we do to dogs and what passes as pet care, is just too hard to watch.
正直にいいます。辛い日ってありますよね。私たちが犬にしていること、ペットケアとしてまかり通っていることを見ることが、辛すぎることがあります。
.
Seeing six, eight, ten dogs being walked together in “packs” on short leashes, moving within a hair of each other with minimal personal space, block after city block, without the ability to sniff, freely move, or the choice of when and where to relieve themselves, is hard to watch.
6、8、10匹もの犬が、一度に”パック”として、短いリードで、毛が触れ合いそうな最小のパーソナルスペースで、匂いを嗅ぐこともできず、自由に動くこともできず、いつどこでトイレに行くかも選べずに、街中を 1ブロック、また1ブロックと連れて歩かれる様子を見るのは、辛いです。
.
Seeing dogs corrected for attempts to sniff or move their heads in another direction, kicked and pushed for daring to move an inch out of position, is hard to watch.
匂いを嗅ごうとしたり、違う方向を見ようとしただけでコレクションを入れられ、2.3センチ自分のポジションからずれるだけで、蹴られ、罰を与えられているのを見るのは、辛いです。
.
Dogs are not wolves. I repeat, dogs are not wolves. And dogs are not pack animals. Attaching multiple dogs to one person with six foot leashes and forcing them to move in unison with no agency or engagement with the environment under some misguided idea of a “pack walk” is not a humane way to treat living beings. Please don’t let anyone sell you on the idea that this is what dog care and dog training looks like.
犬は狼ではありません。繰り返しますが、犬は狼ではありません。犬はパックアニマルではありません。間違った”パックウォーク”の考えで、複数の犬を、短いリードで、1人の人間に繋ぎ、彼らに環境を感じることもさせずに同時に動くように強いることは、生き物を扱う人道的なやり方ではありません。どうか誰にも、あなたに、これがドッグケアであるとか、トレーニングはこんな風だとかいう考えを売りこませないでください。
.
I’m sharing this post again because, I, too, was once told that this is how I had to walk my dog, and not a day goes by that I don’t regret following that advise. Not a day goes by that I’m not intensely aware of the price my dog paid for that advise.
このポストを再びシェアします。なぜなら、私も
かつて一度、自分の犬をこんな風に歩かせなくてはいけない、と教えられたからです。そして、そのアドバイスに従ったことを後悔しない日はありません。そのアドバイスの為に私の犬が支払うことになった対価について、ちゃんとわかっていなかったと思わない日はありません。
.
.
Please hear me when I say, there is another way. Our dogs’ lives are limited to our homes and we control every solitary aspect of their days. The moments they have outside are precious to them.
もっと違う方法がある、という私の声をどうか聞いてください。私たちの犬の犬生は、家(の中)に限られています。そして私たちが彼らの日々の全てをコントロールしています。外に出ている時間は、彼らにとってはとても貴重なものなのです。
.
Let them sniff. Let them explore. Let them be dogs. Give them choices. Allow them the joy of experiencing the world through their noses. Be their partner. Be kind.
匂いを嗅がせてあげてください。探検させてあげてください。犬としていさせてあげてください。選択肢を与えてください。鼻を使って、世界を探検する楽しさを彼らに味わわせてあげてください。パートナーになってください。親切であってください。
.
This is not to say that we can't also teach our dogs to walk on a loose leash and engage with us on walks, but it IS to say that we have a responsibility to do this humanely, with patience, compassion, and kindness. We have to do better.
犬に、リードを張らずに歩くことや、私たちとコンタクトを取りながら歩くことを教えることができない、とは言っていません。しかし、私たちはそれを人道的な方法で、忍耐と思いやりと親切な気持ちをもって行う責任があります。私たちは、もっと良いやり方でそれを行わなければなりません。
.

翻訳の補足
犬は”パックアニマル”ではないという文章が出てきます。
.
日本語で全て群れと訳されることも多いですが
Pack, flock, herd, family group, group,pride
英語ではそれぞれ厳密には意味が違います。
.
動物行動学の世界では
James O’Heareという動物行動学者によってそもそも「犬は群れをなす動物(pack animal)ではない」と言われており
オオカミなどの形成する「群れ(pack)」
犬がゆるく形成する「集団(group)」
その特性が区別されるようになってきているということです。 .
.
例えばライオンの群れはプライドと呼ばれていますが
犬の群れはプライドとは呼びませんよね…拙い説明ではありますが、理解の一助となれば幸いです。
.

よろしければサポートをお願いします。サポートをいただくと、助けが必要な一時預かりさんのトレーニングやカウンセリングをお手伝いする活動費になります♥️