東京、街外れ二乗

仕事終わり、私は東京の外れと呼べるであろう江戸川区のとある駅で降車した。
疲れ切った足取りでダラダラと見慣れた道を歩く。
4月になってからというもの、私はすっかりこの街に入り浸っていた。
「あれ、◯◯さん?」
目的地が見えてきた頃に少し遠くから声をかけてきたのは、最近よく通っているバーのマスターだ。
ここは東京、街外れ二乗。
住人は老人と子供、都心へ通うくたびれた大人達くらいで、こんなところへわざわざ遊びに来るのなんて私くらいなものだろう。
この街に魅入られた私は、今日も1人フラフラとここまで辿り着いたのだ。
「こんばんは。1人で来ちゃいました。今日はみんな外で飲んでるんですか?」
「今日もお疲れ様。そうなの、もうひとつ椅子持ってくるね。ジントニックでいい?」
私がコクリと頷くと、マスターは忙しなく店内へ入って行った。
何故だか今日は、店の目の前にある喫煙スペースに客が集合していた。店内から椅子を持ってきて、道路まで広々と占領しているのである。
ついでに足元には、異常なまでの存在感を放つ巨大な黒い犬がリラックスした様子で伏せていた。
まるで親戚で集まって行うバーベキューみたいだな、と思いつつ、私より先に来ていた年配の男女に声を掛けてみる。
「ワンちゃんおおきいですね。お名前なんていうんですか?」
「この子はシガニーだよ。大人しいから触ってごらん」
猫派である私は犬との触れ合い方が分からず、戸惑いつつもとりあえずわしゃわしゃと頭を撫でた。
涎をダラダラと垂らしながら気持ちよさそうにするシガニー。
わあ、涎すごい!と私が思わず言葉をこぼすと、
「ハハ、今日なんかもうすっかり暑いんだよ。シガニーは暑がりだから、我が家では先週から冷房を付けているんだよ」
初老の男性がそう言うと、横に座っていた年配の女性がえー!と声を上げる。

たしかに気がついたらすっかり春になっていた。
過ごしやすい気温で、夜風が心地よい。
「1人で来るの珍しいね。こないだ話していた2人の件は落ち着いたの?」
ジントニックと椅子を持ったマスターが店内から出てきて、私に言う。
「あー、まあなんとかなりました。色々相談しちゃって、すみません。」
そう、ここには元々一緒に通っている友人が2人いるのだ。少し前から2人の間に衝突が起きており、2人は仲違いしていたのだ。
数日前、私はその件の愚痴をマスターに溢していた。
「ならよかったよ、また3人でも来てね」
「はあ、あの2人ならすぐにでも遊びに来ますよ」
私がそう言うと、マスターがハハハと笑っていた。

「あ、いたいた!って、シガニーもいるじゃん!」
そう言って後ろから駆け寄って来たのは、先述の友人Aである。
私がこの店にいる事を知るや否や、わざわざ世田谷区の自宅からこんなところまで遊びに来たのだ。

「そういえば、Bくん今宇都宮から電車で帰って来てるみたいだよ。23時ごろに到着するみたいだけど、帰る前に少し顔合わせる?」
私がそう言うと、少し間を置いてからAが言う。
「んー、でも明日早いし、また今度にしようかな」

Bくんは、去年宇都宮から上京してきたばかりでありながら、何故かこの寂れた街に1人住んでいるのだ。
昨日から宇都宮に帰省していたのである。
そんな彼が住んでいることがきっかけでこの街に引き込まれた我々は、彼が不在であろうと今夜もこの街に来ているのだ。
何故この街なのかと言うと、
「こんな江戸川区の寂れた街なんてクソ食らえだよ!なにもないんだから!」などと文句を言っていたBくんを見兼ねたAが、「いや!この街にもきっと何か魅力があるはずだ!」と言い、2人でこの街を探索した事がはじまりであった。
そこにひょんな事から私が加わり、今では四六時中、3人共この街で過ごすようになっていた。

「そうだね、来週会えるし」
「うん。今日は早めに帰るよ」
Aの言葉を聞いて、私は少しの寂しさを感じた。
この街に3人でいる時だけは、常識や秩序なんてものは存在しなかったのだ。
酔っ払って3人で肩を組みながら街外れの家まで歩いて帰ったり、自転車に2人乗りして帰ったり。
セミダブルのベットで3人で川の字になり寝る事も、とうに当たり前になっていた。
いい歳した大人が、東京の外れで青春を取り戻すかのように、低予算映画のような春を過ごしていた。
とはいえ、所詮は我々も現代を生きる人間である。
きっと私たちが見て見ぬふりしていたちいさな綻びは、水面下で大きなもつれへと変わっていた。
その結果、我々の物語にとって完璧な終了を感じさせるほどの衝突が生じてしまったのだ。
「こんな風に終わるなんて、僕らがしている事はつくづく駆け出しの映画監督がいかにも考えそうな話だよ。ショートフィルムにしたってせいぜい15分程度の物語だろうね」
衝突したあの日、Bくんは泣きそうな顔でそう言っていた。
彼らはとても繊細で、それ故にとても賢い。
仲違いしていた彼らは先日和解したばかりなのだ。
それから3人で会う事はまだしていない。

そんな事をぐるぐると考えていたら、マスターが突然話題を変えた。
「そうだ、この人ね、手相占いできるんだよ。君らも占ってもらったら?」
どうやら、年配女性は手相占いができるらしい。
私はさっそく占ってもらう事にした。
「うーん、あなた尽くしすぎるタイプじゃない?それに、度胸がすごいあるのね。事務なんて仕事をしていたら勿体無いよ。もっと変な仕事をしなさい」
「え、ええ!私まさに事務の仕事をしているんですが...!」
「全部バレてるじゃん!すごい!ていうか変な仕事って何!」
Aは楽しそうにケラケラと笑っている。

なるほど、そういった予測不能な出来事がたくさん起こるからこの街は楽しいのだ。
手相占いをする女性、巨大な犬、犬の飼い主である初老の男性はボート屋さんをしているらしい。
この街の登場人物は全員コミカルで、みな愛すべき存在なのだ。
何も知らない人からしたら、つまらない寂れた街だと思うのだろう。実際は全くの逆であり、この街で生きる人々には完成されたストーリーがある。
この街には物語があるのだ。

程よく酔っ払った頃、気が付いたら時刻は22時半になっていた。
「あと30分でBくん到着するじゃん。せっかくだからやっぱり会って行こうよ。お土産あるって」
「そうだね。外気持ちいいし、店出て散歩でもする?」
結局我々は予定していなくとも集まってしまう。
この街の不思議な引力によって強く引き寄せられているのだ。
店を出てフラフラと寂れた商店街を歩いていると、少し奇妙な面構えをした、中国の食料品を販売している店があった。
このような奇妙な店は普段なら入るのに少し躊躇うだろうが、この街に酔った我々に躊躇はない。
一瞬にして入店していくA。
「お!青島ビールある!」
「なにこれ?」
「こないだBくんと行った池袋でやっていた中国の祭りみたいなやつでも飲んだんだよ」
「へえ、私も飲んでみようかな」
青島ビールを2つ購入した。
おそらく中国人であろう、店のお兄さんが丁寧に瓶の蓋を開けて渡してくれる。
瓶ビールを片手に2人フラフラと駅の方へ向かった。

駅裏の路地で座り込んでいると、背の高い人影が大きく手を振りながらこちらへ向かって来ているのが見えた。
「あ!Bくんだ!おかえりなさい!」
私は思わず駆け寄り、彼に抱きついた。
「あー!電車長いよ!つかれたー!」
そう言う彼は、なんと各駅停車で宇都宮から帰って来たらしい。
衣類や土産、両親に持たらせたらしい大量の生活必需品を両脇に抱え、重たい足取りでAの元へ歩いていく。
「Bくんおかえり!」
「ただいま」
2人がいつも通りの様子で言葉を交わしているのを見て、私は安堵する。
「あ、〇〇ちゃん、餃子人形買って来たよ」
「でた!うれしいけどうれしくないやつ!」
「探したんだけどキモいのなくてさあ、なんかかわいいやつになっちゃった」
帰省前、「宇都宮はどーこ行っても餃子人形売ってんだべ!」と、やたら癖の強い栃木弁で豪語していたのに、売ってないんかーい!と心の中でツッコミを入れる。
そして渡されたのは、おなかに「ギョーザ」と刺繍が入っているモケケだった。
「モケケ懐かしすぎるよ、まだ売ってるんだ」
「こないだあげたずーしーほっきーと一緒に鞄に付けなさいよ」
Bくんはニヤニヤした顔でそう言った。
「もちろん付けるさ!北海道と栃木を身につけて、いつでも君らと一緒だよ」
私がそう言うと、Aが笑いながら言う。
「十字架背負すぎだよアンタ」
奇妙なぬいぐるみのキーホルダーが鞄に増えていくのは正直恥ずかしい。
だがそんなことはどうでもよい。
彼らと一緒にいれることが、ただうれしいのだ。

「いやあ、また3人で集まれてよかったよ」
「もう会えないかと思ったもん」
「そうだよね、ごめんね」
東京、街外れ二乗。
この街の不思議な引力により我々は再会し、3人で抱擁をした。
なんて気持ちの悪い光景なのだろう。
けれど、この街は我々を否定しない。
この街だけは、我々を否定しないのだ。

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