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ナミビアの砂漠を観た

映画「ナミビアの砂漠」を観た。 主人公カナはとても破天荒で自由奔放、自分の感情に素直だなと思った。悪く言えば自己中心的。 子供っぽいけどどこか大人びている感じ。 劇中で脱毛サロンの後輩が言っていた「カナさんって追われるタイブっぽい」というのは本当にその通りで、カナの破天荒さと不安定さはどこか人を寄せ付ける力があると思う。 私にはカナのように破天荒な友人がいる。彼女は2年ほど前に結婚して母となった。 あんなにも自由奔放だった彼女が、妊娠が分かると酒とタバコを辞めた。人って変わ

    • 他人と暮らす

      他人の家って何故か居心地がいい。 放浪癖のある私は他人の家に転がり込むのは慣れていた。 私は家族のことは好きだが、心のどこかでずっと離れたいと思っていた。 私の家族は全員どこかおかしいと思う。きっと私自身も。 私たち家族には父に植え付けられた毒の種がずっと残っている。それは時間と共に成長していく植物みたいにじわじわと成長し、すっかり立派な根を張ってしまった。 そんな家からなんとなく離れたかった私は、恋人ができる度に相手の家に身を寄せていた。他人との生活は楽しい。なにより知ら

      • 神様

        私は運命を信じている。 偶然喫茶店で知り合った人、偶然同じ職場に転職してきた人、とか、小さな偶然から始まり、相手と自分の切り離せない何かが出来た瞬間、途端にそれは偶然ではなくなる。やれ「運命」だのと言われたりする。 「偶然」ってなんだろう?と思う。 私は「偶然」よりも「運命」や「必然」を信じている。 偶然というのは、数多の条件を突破して初めて起こりうることであると思うからだ。 もしも、寝坊して家を出る時間がいつもと違ったら? もしも、雨が降ってその日は外出しなかったら?

        • 必然

          私は人が嫌いなくせに、すぐに人のことを好きになる。 良く思っている人が望むのならすぐ一緒になったりもする。 けれど、どんなに好きな人でも長く付き添うことは無理なのだとどこか決めつけている節がある。 私自身が思考した上で無理だと思っているというよりは、きっと無意識下でそう感じていて、その感情に自分でも気付いているのだ。 これは諦めなのか、はたまた本当は“好き”ですらないのか、正直私にはさっぱりわからない。 今まで抱いてきた“好き”という感情が間違っていたとすれば、私は今になって

        ナミビアの砂漠を観た

          わたしという概念

          先日気がついたこと、 わたしってインターネットを名前と言えるような名前でやっていないなあということ。 自分では特に気にしていなかったんだけど、もしかしてこれって変な事なのか?とふと感じた。 現にnoteの名前も「.」だし、Instagramも名前は設定していない。X(旧Twitter)も「na」という名前でほそぼそと活動していた。 naというのも意味はなく、わたしが好きなさよならポニーテールのメンバーである「なっちゃん」から適当に取ったもの。 なぜそうなったのかと考えた

          わたしという概念

          なにもうまくいかない

          最近なにかとツイていないことが多い。 昨日は仕事中に下ろし立てのワンピースの肩紐が千切れかけて、お昼休憩にコンビニでソーイングセットを購入し泣く泣く裁縫をしたし、そのコンビニでついでにお昼ご飯を買ったのだけど、レシートを見たら1つしか買っていないコロッケを2つ買ったことにされていた。 それに仕事でも空回ってばかりだ。 今日も碌でもないポカをして上司に迷惑をかけてしまった。 約1年この仕事をしていてこんな事は今までずっとなかったのに、ここ1ヶ月くらい自分の判断力が鈍っている気

          なにもうまくいかない