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42 家族と一緒に過ごさない

価値観は昭和以下 ジェンダーイクオリティって何?


  土日に子どもたちの面倒を見るのはもちろん私でした。夏休みであっても、それは同じです。こどもは夏休みでも大人は普通に仕事です。私は毎日早起きをして子どもたちのお弁当を作って会社に行きました。

 私が用事の時は、前もって、義母にお願いし、予定が会わなければ夫にお願いし、それでもダメなら子連れで用事に出かける、のが我が家のパターンでした。おかしいですよね。同じ親なのに私がお願いをする立場なんて。当時は、私さえ我慢すれば家庭がスムーズにいくと信じていたので、夫にお願いする精神的不安を感じるよりも、自分の気力体力で何とかする方が楽だと錯覚していました。

 料理は女がするもの、と誰が決めたわけでもないのに、我が家の家事育児はすべて女である私の担当でした。元夫は、ジェンダーとか、平等とか、そういった類の今や社会常識となりつつ価値観に、全くと言っていいほど学がありません。自分が育った環境が世界の価値観の中心だと思っています。というか、それ以外の価値観を知らないし知ろうともしません。残念ながら結婚前に見抜くことはできませんでした。
 昭和の価値観と言えばそれまでですが、元夫は家事育児もしないし、稼ぎもそれほどありません。昭和の夫婦の方がよっぽど平等です。


思い出がない

 私も仕事は忙しく、帰宅後もくたくたで、土日におでかけする気力も体力も残っていませんでした。フルタイムワンオペ家事育児は本当にきついのです。
そんな土日に活躍するのが、ベランダプールでした。お出かけしなくても、家でいっぱい楽しめます。子どもたちはハイテンションで、大喜びでビニールプールに飛び込みます。私は冷たいカフェオレを作り、ベランダのゆったりとした椅子に腰かけながら、かわいいわが子たちの写真を撮ったり、ちょっかいをかけて一緒に遊ぶのです。午前中いっぱい遊べば、昼食後は涼しい部屋で昼寝するのもスムーズです。広いベランダでプールをするのが毎週の楽しみでした。まだ小さい子どもたちがキャッキャとはしゃぐ姿を見れるのはこの上ない幸せでした。しかし夫が一緒にいたことは一度もありません。子どもたちは、パパがいないことは当たり前になっていました。時々家にいて、お菓子やジュースやおもちゃを与えてくれる存在、というだけでした。だから家に夫がいても、
「パパ一緒にプールであそぼ」
とは絶対に誘わなくなりました。夫は絶対に、断るからです。

アルバムにもいない


 一緒にいないのだから当然、アルバムに夫はほとんど登場しません。彼は自分の趣味ですぐ出かけてしまい、じっと家にいることはほぼありませんでした。この結婚生活で、夫との思い出は年1回の結婚記念日のみです。それも私は予約から義母に子どもを預ける段取りからすべて引き受けての、二人でランチに行くだけです。日常に、彼の姿はほとんどありませんでした。おそらく子どもたちにとっても、パパはいないのが当たり前、になっていました。それでも不思議と、こどもは父親の存在を受け入れていました。たまに家にいて、携帯動画見せてくれて、ガムやチョコやグミを夜中でもくれる父親を。


離婚後、娘はこの時のことを振り返りこう言いました。

娘「お菓子くれるだけで、父親としての行動を全くしなかった。ずっと家にいないし怖いしずっと気を使ってた。縁が切れてよかった」

 長年さみしい思いをしていたのは私だけではなく、娘も同じだったのです。離婚した今、子どもたちが父親に会いたいと言ったことは、一度もありません。2年経過した今も、一度も会いたくないそうです。それはそれでよいのかも、と思います。そして元夫も、会いたいと言ってきたことは1度しかありません。


育児に関わらない父親は子どもとの縁が切れる


元夫は、子どもの機嫌を取る方法が動画かお菓子しかないだけでした。しつけとか、子どものために我慢させるとか、叱って嫌な役目を引き受けることもありません。教育には無関心で、自分に懐くかどうかだけに関心があるような人でしかありません。私にとっては、たまに家にいてペースを乱す人。いない時の私の努力は無視。自分ルールを押し付ける。夫がいるときだけ、いつもと家の空気が変わってしまうことに、子どもたちも慣れてしまっていました。


続きます


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