映像化するでもないような作家の妄想劇『人を轢くのが趣味の男』
「重傷にならない程度に、絶妙な速度と角度で人を轢く男。」
そんな恐ろしい人間に出会ってしまったのかもしれません。
つい3か月ほど前、人生で初めてバイクに轢かれました。
それがまあ、絶妙な怪我の加減だったのです。
骨が折れるでもなく、「足首とひざの打撲」だけ。事故後数日は確かに体は痛くなりましたが、別に生活できないほどではありませんでした。
そして、加害者側の男性も懇切丁寧に事故対応に当たってくれました。
電話をかけてくれば「お体大丈夫ですか?」「僕が100%悪いので、保険会社にはなんでも言ってください」など僕を気遣うセリフばかり。
まあ当たり前のことではあるのですが、怪我が軽い分、彼に好感を持つようになっていました。「お気遣いありがとうございます」なんて言ってしまう始末。
しかしそんな電話の後、ふと思ったのです。
「あれ?この人もしかして、わざと轢いて、轢いた人間が自分に好感を持つようになる過程を楽しんでるんじゃないか?」
きっと彼は、誰かを傷つけたときに心にくるあのザワザワと、轢いた人間が救急車に運ばれてから診断結果が出てくるまでの切迫感が、
「怪我は大事ではなかったです。お気遣いどうも。」
この一言で解消され、心が軽くなる瞬間が好きで好きでたまらないのです。
きっと彼は、これまで真面目に真面目に働いてきたのでしょう。人生において誰かを暴力で傷つけたことなどなかったのです。このまま安穏とした老後の人生を歩むのだろう…そんな時にふと軽事故を起こしてしまいます。
きっと相手は女性だったでしょう。女性が自分のせいで、事故の衝撃と痛みにもがきながら、苦悶の表情を浮かべる。彼の中の、なにかがそこで目覚めます。
彼を罵りながら救急車に運び込まれた彼女。一体どんな結果になるのだろう。私はこのまま、拘置所に行くことになるのだろうか。不安で夜も眠れない彼の元に、女性から「特に大事には至らなかった」との連絡が届く。
そこから保険会社の言う通りに、丁寧に対応に当たった彼は、女性が快復に向かっていたころには「ご丁寧にありがとうございます。」と柔らかい声で言われるまでになるのです。
男性は思います。「また誰かを傷つけたい」「あの罵りが、自分への感謝に変わる瞬間をもう一度味わいたい」「また認められたい」もう一度もう一度…
僕は何人目の被害者で、彼が免許取り消しになるまで、あと何点でしょうか。
次に轢かれるのは、あなたかもしれません。
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