37周ループしたJR熱海駅
いわゆる車椅子バリアフリー問題。
最初はなんとなく揉めてるなーみたいな印象で、特に記事のネタにするつもりもなく静観してたんですが、断片的にみかけるTwitterの投稿なんかをみていると、もっと建設的な議論ができればいいのに、という気持ちが強くなり、ネットの片隅ながら、僕の意見を書かせて頂きます。
タイトルについては、そのままの意味で、よく漫画なんかであるループもので、失敗を繰り返しながら何周目かに正解に辿り着くってのがありますけど、今回の問題についても、あえて誰も傷つかない理想的な小田原~来宮駅のやり取りをフィクションとして考えてみることで見えてくるものもあるんではないかなー、という話です。
というわけで、以下のやり取りは、僕が考える「37周後の熱海駅のやり取り」です。
37周目の小田原駅
乗客「すみません、来宮までお願いします」
駅員A「来宮駅は階段しかないのでご案内ができません。熱海まででいいですか?」
乗客「いや、私が行きたいのは来宮なので、そこまでお願いしたいのですが・・」
駅員B「すみませんが、来宮駅には階段しかなく対応できないので、お客様には熱海駅での降車をお願いしたいのですが」
乗客「何故でしょうか?」
駅員B「お客様の車椅子を階段で運ぶには3~4人の人数が必要とお見受けします。申し訳ございませんが、来宮駅は無人駅であり、それだけの人数をこれから集めるには余裕がございません」
乗客「障害者差別解消法というのがあり、エレベーターがない駅は、合理的配慮としてほかの手段で対応していただくと決まっているのですが、JR小田原駅では、これから3~4人の人数を無人駅に手配するのは、合理的配慮の範疇を超えていると判断されたということですね」
駅員B「仰る通りです」
乗客「JRがそのような判断をされたということはわかりました。そういうことであれば、今回は熱海駅で降りたいと思います。ただ、それが本当に合理的判断といえるのかどうか、私としては疑問に感じます。そこで私としては、公共交通機関に求められる合理的配慮の是非を問うことは、広く社会的意義のある問題だと感じたので、今回のことを個人ブログで取り上げたいと思います。もちろん、駅員さんの対応については、会社組織という構造的な問題であるということは理解しており、くれぐれも駅員さんへの個人批判にならないよう配慮はさせて頂きます。ご理解いただけますでしょうか?」
駅員B「もちろん、それはお客様のご自由なので構いません」
乗客「そう言って頂き、ありがとうございます」
37周目の熱海駅に移動
熱海駅に到着
駅長「今回は駅長の私がいたので、対応させていただきます」
乗客「小田原駅で、一切対応しませんと言われたのですが、どうして急に対応が変わったのでしょうか?」
駅長D「問い合わせをいただいた時は、ご案内できるだけの人的余裕がありませんでしたが、ぎりぎりの調整を続けた結果、対応可能になったからです」
乗客「それは助かります。それではお願いします」
37周目の来宮駅にて
駅員4人がかりで車椅子を運び、階段を移動
乗客「ありがとうございます。とても助かりました。明日の帰る時はどうしたらいいですか?」
駅長「何時にお帰りですか?事前にお電話ください」
乗客「次からはどうすればいいでしょうか?」
駅長「やはり事前にご連絡いただけると助かります」
乗客「わかりました。そのようにします。ただ、こちらから要望させていただくなら、私なりに事前に来宮駅の構造は調べてから来たのですが、そのような配慮が必要だとはわかりませんでした。もっと車椅子ユーザーのために、わかりやすくインフォメーションして頂けると助かります」
駅長「そうなのですね。それは申し訳ありませんでした。担当部署にそのような要望があったと伝えます」
乗客「そのうえで、もうひとつ。これは小田原駅でもお伝えしたのですが、今回のことは広く社会に問う意義のある問題だと考えており、駅員さんの立場には出来る限りの配慮をしたうえで、私のブログで取り上げさせて頂きたいと思います」
駅長「なにか、ご不満な点がございましたでしょうか?」
乗客「いえ、駅員の皆様方には、とても感謝しております。ただ、車椅子ユーザーに特別の配慮が必要である社会の構造そのものが、私は問題であると考えており、当事者のひとりの立場から声をあげるべきだと感じたからです」
駅長「と、仰いますと?」
乗客「たとえば、駅員様方もお忙しい中、今回のようなことがあるたびに対応しなければならない、というのは正直なところ、大変ではありませんか?」
駅長「本音では、そう思うこともあります」
乗客「それでは、駅員さんに負担がかからず、なおかつ車椅子ユーザーも利用しやすい方策というのは、どのようなものがあると、お考えでしょうか?」
駅長「そうですね。やはりエレベーターを設置するとかでしょうか」
乗客「他には?」
駅長「駅を施工する段階から、できるだけ段差を排除する工夫をするなど、バリアフリーに根差した設計をするといいかもしれません」
乗客「私も同じように考えております。そして、それは私のような先天的な車椅子ユーザーだけでなく、社会全体にとって意味のあることです。たとえば、これから日本が高齢社会を迎えるといわれています。JRさんでも、高齢者の観光需要には関心があると思うのですが、それでは身体の不自由な高齢者がどこか遠出するたびに、駅の構造を調べたり、事前の連絡が必要ということになると、どうなると思われますか?」
駅長「遠出するのが次第に億劫になるでしょうね」
乗客「しかも、そうやって気晴らしの機会が減ることは、高齢者の健康寿命にも影響を及ぼすでしょう。そうなると、ますます気ぶせりになって家に引きこもる高齢者が増えることになり、その結果、介護や医療の負担が増えるなどの悪循環を生むことになります。逆にいえば、ハンディのある人たちでも気軽に活動できる社会をデザインすることは、社会全体の活力に繋がり、様々な好循環を生むことができます。もちろん、それはJRさんにとっても結果的に利益になることだといえます」
駅長「なるほど。仰る通りかもしれませんね」
乗客「ただ、それは健常者の立場からは、なかなかみえにくいことでもあります。なぜなら、健常者にとって「当たり前」過ぎて、意識すらできないことこそが、私たちのような車椅子ユーザーにとっては大変な問題だったりするからです。ですから、私のような車椅子ユーザーという立場から問題を提議していくことは、それまでの健常者中心の社会からでは気付けなかった問題を可視化するという、社会的な意味があると考えるのです」
駅長「恥ずかしながら、これまで、そのような考えには至りませんでした。それは確かに社会的意義のあることだと思います。是非ブログに取り上げて頂ければと思います」
乗客「ありがとうございます。もちろん、それは今回対応して頂いた駅員さんへの感謝とは別の問題です。決して、駅員さん方のご親切を軽んじるものではないということを、ご理解いただければと思います」
駅長「いえいえ、ご丁寧にありがとうございます。弊社としても、もっと様々なユーザーに配慮して事業を進めていけるよう、今回のことは良い経験にしたいと思います」
乗客「ありがとうございました」
駅長「こちらこそ、ありがとうございました。またのご利用を心よりお待ちしております」
まとめ
いかがでしたでしょうか。
こうやって37周目のやり取りをみる限り、僕個人としては、双方の主張に、なにひとつ納得できないものはないように思います。まあ、僕のご都合主義オンリーのやり取りなんだから、当たり前なんですけど。
ただ、僕が取りこぼした論点があるにせよ、こうやって理想的なやり取りに寄せていくことで、社会全体で建設的な議論を積み上げていけばいいのにね、と思ったりしたという話です。
あと、僕は普段、こういう議論を建設的なものにするために必要となる理論的基盤について考えるマガジンをやっていて↓
なかなか更新頻度があがらないのですが、最終的には世界平和も実現できるよって話になっているので、興味ある方は読んで頂けると嬉しいです。
それでは、ここまでお読みいただきありがとうございました。貴重なお時間を僕の記事のために使って頂けたこと、感謝します。
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