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システム論的世界平和➀ー歴史の法則性についてー

 歴史を大局的に振り返ると、誰でも気付くことだが、人類社会は「システム安定期」「システム模索期」のタイムスパンを繰り返すことで発展してきた。

 これを理解するため、ごく単純なシステムのモデルとして、「シャワーの適温問題」について考えてみよう。

 ビジネスホテルのシャワーを使おうとして、お湯の蛇口を捻ったところ、熱湯に近い湯が出てきて「熱ッ!」となったという経験は、おそらく、そう特異なことではないだろう。

 もちろん、そのままシャワーを浴びては火傷してしまう。だから、水の蛇口を捻ることで、お湯の温度を適温に下げようと試みることになる。

 ところが、これもまたありがちなことだが、水を調節が上手くいかず、今度はお湯の温度が下がり過ぎてしまう。そこで、再度、お湯の蛇口を少しだけ捻り、さらにまた水の蛇口をちょっと……という繰り返しで、「ちょうどいい適温」に調節していく。

 これは人肌という温度センサー及び正のループバック(お湯の蛇口)と負のループバック(水の蛇口)というごく単純なシステムによって記述できるのだが、この時の温度変化を図にすると、こんな感じになる。

 通常、最初期は当てずっぽうに蛇口を捻るため、調整幅は大きくなる。ところが、適温に近づいていくとともに、その振れ幅は小さく(微調整に)なっていく。そして、ある一定の温度に収束すると、システムは安定する。見事、「ちょうどいい適温」のシャワーを浴びることができるようになったわけである。

 このシャワーの温度を調整するタイムスパンが「システム模索期」であり、ちょうどいい適温に達した以後は「システム安定期」に当たる。

 しかし、この「システム安定期」は永続的に続くとは限らない。外在的か内在的かを問わず、「システム安定期の破れ」が起きるからである。この「システム安定期の破れ」が歴史を駆動させる原動力となるのだが、続きは次回の記事で。

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