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『新成人』になっても大人になれてない人が日本社会に多い理由を考えてみる

子供っぽくなかった小学生時代。

クラスメイトや先生の顔色気にして過ごした学生時代。
校庭でドッジボールや鬼ごっこするより、1人でいたかった休み時間。
友達と遊ぶより、親の手伝いしたかった放課後。

中学生になればそんな自分の『大人びた』感じが浮くことないのかなって思ったけど、周囲との雰囲気の差はどこか感じたままで。

自分だけ国外に行くという進路をとって、高校生活を異国で過ごし、帰国して間も無くして参加した成人式。
別に地元に思い入れがあるわけでもなかったから、当初は行く気なかったけど、一生に一度の節目なイベントだし、と結局は参加。
行ってみると同級生と自分とのギャップをさらに感じるだけの時間になった。

「私が留学して自立心強くなっただけかな…」にゃんて思ってたけど、そんなこともないらしいと思える記事に出会った👇

個人を尊重せず、『学校』という組織の中でpositve impactを与えられる人だけが評価される日本の学校教育。
その組織化では周囲を乱す言動や価値観は歓迎されない。
たとえそれがその個人の『らしさ』を表すものであっても。

そんな教育の下で個性を潰されてきた者達の社会への自己主張の場が、成人式なのかもしれない。(ふわふわ)

ってかアメリカの Sweet 16 然り、メキシコの Quinceanera 然り、この世の成人のイベントって集団じゃなくて、個人で祝われてる気がするなー。
集団で祝うことの意味とは…?



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